いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第229週

2019年03月30日 19時37分14秒 | 草花野菜

■ 今週の看猫

■ 今週の武相境斜面

■ 今週のメタセコイア

■ 今週の花

■ 今週の看板

■ 今週の帝国主義者カール・マルクスの嫡子たる中国共産党

カール・マルクスは1853年の『イギリスのインド支配』という新聞投稿記事において、帝国主義を「礼賛」している。つまり、イギリスのインド支配は、(人類進歩のために)無意識に歴史の道具を役割を果たす一例であるとカール・マルクスは主張している。

当時のインド人がイギリスにより革命的破壊を受けねばならない「罪状」をカール・マルクスは下記書いている;

 ところで、この無数の勤勉な家父長的で無害な社会組織が解体され、各構成単位に分解され、苦難の海になげおとされ、その構成員が古代そのままの形態の文明と伝来の生活手段とを同時に失うのをみることは、人間感情にとって胸いたむものではあるにちがいないけれども、われわれは、これらの牧歌的な村落共同体がたとえ無害にみえようとも、それらがつねに東洋専制政治の強固な基礎となってきたこと、またそれが人間精神をありうるかぎりのもっとも狭い範囲にとじこめて、人間精神を迷信の無抵抗な道具にし、伝統的な規則の奴隷とし、人間精神からすべての雄大さと歴史的精力を奪ったことを、忘れてはならない。(『イギリスのインド支配』、カール・マルクス、鈴木正四 訳、大月書店版 マル・エン全集 9巻 p121-127)

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