いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

たちばな

2005年11月16日 20時52分33秒 | 草花野菜


今年の5月5日、ラジオで、

~♪~ たちばな かおる あさかぜに ~♪~

とやっていたので、冬に橘の実があった木を思い出し、顔をよせ、クンクンとやった。

すこし香りがしたが、風にのるような強さではなかった。


札幌 古書・薫風書林

●話題はまったく変わるが、猪口邦子大臣といえば、昔西尾幹二センセが猪口邦子批判をしていたな、と思い出していた。 【後記】ので、久しぶりに西尾センセブログをのぞくと、果たして猪口批判がリバイバルしていた。

今、リバイバル or 回顧 or とんだ伏流水の噴出?の心境のようだ。西尾センセ。

●気の利いたブログで、保守系は西尾センセ、ポストモダン系は内田センセのリンクが、まるで護符のように、貼られている。 おいらは、がきのころから西尾センセの書いたものにふれたことはあるがシビレタことは一度もない。

●たとえば、西・西論争なる、現代ヨーロッパへのつすきずんの態度をめぐる、西尾センセと西部センセの、中央公論での、論争も、おいらは断然、にすべセンセにシビレテいた。西尾はニーチェ読みの自分をときに自慢し、一方、西部はニーチェ嫌悪を演技する。 しかし、果たして、その生き方は断然西部の方が「ニーチェ」している。

●西部は「保守」「保守」と叫ぶが、それはオノレがアナーキストとしてどっかに吹っ飛んじまうことを、暗か明か、わかっていて、地上への錨として「保守」を叫んでいるのである。 はっきりいえば、冗談でいっているのである。悪く言えば欺瞞だ。 その点、福田和也と同じだ。

▼さて、その昔、西尾センセが猪口女史に怒った点は、「猪口がパックス・アメリカーナは磐石である。なぜなら、ナンバー2の日本がアメリカ追従であるからである。」と主張していたことだと、おいらは、記憶している。 つまり、交戦権という国家主権の第一のものを放棄し、対米追従を寿いでいるとはなにごとか!という主張だったような。

 【後記】この記事投稿のあと、西尾センセブログに西尾センセ猪口女史批判がリバイバル掲載されますた。

▼とまれ、その猪口女史の主張は現在の自民党政府にまさに合致しているので、大臣さんには全くふさわしいということはいうまでもない。

★でも、西尾センセの誹りは、 「工事現場のシートを引きずっている」、には負けるよ。