四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

柏原城跡 -城山砦跡-(埼玉県狭山市)

2016年12月19日 | 100名城以外の城館跡


狭山市内べ唯一の中世城郭と言われる柏原城跡を訪ねてきました。狭山市教育員会では、この柏原城跡を城山砦跡の名称で呼んでおり、市役所のHP等でもこの名称を
用いています。しかし、城のあった山は大方の所で城山と呼ばれており、城山は一般的な名称となっています。この記事を投稿するにあたり、当初は狭山市で用いている
城山砦跡のタイトルにと考えましたが、地名の入った「柏原城跡-城山砦跡-」のタイトルとしました。タイトルで悩むより内容を充実しろと言われそうですが・・・




柏原城跡(城山砦跡)への小口(攻城口)は2ヶ所あり、北側の農道の延長線上にある小口と、南側の崖下にある小口がありますが、方向音痴の私が辿り着いたのは、
崖下の小口でしたのでここから攻めてみました。ここから見る限りではちょっとした山城か平山城を思わせます。この写真を撮ったすぐ背後は住宅街となっています。




城山砦跡       市指定文化財 史跡    指定年月日 昭和48年(1973)3月1日

城山砦跡は、江戸時代後期の書物の『新編武蔵風土記稿』によると、天文年間に山内上杉憲政が、後北条氏に奪われた川越城を奪還すべく
包囲した際にここに陣を敷いたとされており、江戸時代後期には「上杉砦」と呼ばれ、既に4段程の遺構しか残っていない、と書かれています。
現存する面積は約7,000㎡で、入間台地のやや舌状の部分にあり、沖積面から約10m上の河岸段丘に、東から本郭、
ニノ郭と造られています。本郭は崖面以外を高さ約3mの土塁で囲われ、その外側には現存する深さが約3mの空堀があります。
また、その更に外側に、高さ約1mの土塁状の高みが今でも確認できます。ニノ郭は、土塁の残存と考えられる高みの上に、
現在は稲荷社が祀られています。西側には深さ約1mの堀が残っており、狭いながらも郭を構成していたことがわかります。
平成10年度に本郭周囲のほ場整備に伴って発掘調査が行われ、最も外側の土塁状の高みの外に、更に深さ3m程の堀が検出されました。
堀の底や壁には、堀を掘ったときについたと考えられる鍬の痕も残っていたため、砦は、造られて間もなく放棄された可能性が出てきました。
検出された堀は保存するために埋め戻され、現在は道路になっています。平成18年度に、学術調査のために行われた本郭の内側の空堀の
調査では、現況より更に約2m深く掘られている形跡が確認されました。また、深い堀が崩れないように押さえるための修復したような跡も検出されました。
さらに、平成22年度の小口部分の確認調査では、中世のカワラケ(小皿)の小破片が出土しています。

平成26年2月       狭山市教育委員会  狭山市文化財保護審議会


登り口に設置されている案内板を拡大表示、並びに、文面を書き写してしてみました。
柏原城跡(城山砦跡)の歴史や構造等はこれで大まかはわかると思いますし、私には知識がありませんのでこれ以上のことは記せませんのでこれでご容赦を。
なお、色々な方のブログ等で柏原城跡(城山砦跡)について勉強をさせていただきましたが、ちょっと古いブログ記事にはこの案内板以前の案内板が紹介されて
いるものもあります。それによると現在の案内板では触れていない「三の郭」についての記載があり、概略図にも「三の郭」が表示されています。
また、狭山市のHPの「城山砦跡」(更新2011年3月1日)の紹介文でも同様です。「三の郭」についての記述と表示がなくなった理由については私の知る
ところではありませんが、以前の案内板の末尾に「・・・この遺構は現在、大部分が埋まっています。・・・」とあることから外したのかと思われます。




上の案内板の概略図部分を拡大表示してみましたが、赤・青・黄文字部分は加筆したものです。




それでは攻城開始です・・・ちょっと大袈裟ですが




例の如く写真では緩やかに見えますがかなりの坂道です。




傾斜がさらに急になり右にカーブして行きます。




坂道を登り切りました。左側の柵のある所が「二の郭」 右側の暗がりは空堀 更に右側には本郭(一の郭)への小口があります。




本郭(一の郭)への小口




小口から見た本郭(一の郭)




本郭(一の郭)の内部  3方が土塁で囲まれています




同上




同上




土塁に上がってみました  右側は空堀 土塁の上からですとかなり深さがあります




本郭から見た崖下の住宅街




同じく本郭から見た崖下の住宅街  こうして見ると崖の上に築かれた城(砦)とよくわかります




先程の小口を出て二の郭へ




二の郭の南側(柵の左側)も崖です




二の郭の端にある 城山稲荷大明神




北側の小口  南側の崖下の小口とは反対に畑の延長上にありますので見た目には小さな森でしかありません
ここにも崖下の小口と同じ案内板が設置されています
遠景の写真を取り損ないました。小口の延長上の農道には工事関係者の車両が何台も駐車されていましたので
撮っても見づらいものになっていたかもしれませんが(単なる取り損なった言い訳)




北側の小口 




こちらは崖下の木製の入口の標識と違って金属製の標識




上記標識背後の空堀




上の写真では空堀の状況がよくわかりませんので空堀に降りてみました
かつて、この空堀には色々なゴミが不法投棄されていてゴミ捨て場状態になっていたとの記事もどこかで見ました。




小口左側の空堀が検出された場所あたり(現在は埋め戻されている)




三の郭とされる場所はここあたりでしょうか




三の郭とされる場所を端の方まで撮ってみました

この柏原城(城山砦)は崖の端に築かれていることから、北側と南側とでは全く別の顔をしていました。

攻城日:2016(平成28)年12月17日(土)

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