四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

岡部陣屋(埼玉県深谷市)

2018年01月05日 | 100名城以外の城館跡


埼玉県深谷市岡部(旧大里郡岡部町岡部)にある岡部陣屋跡を訪ねてみました。

元今川家家臣で後に徳川家康に仕えた安部信勝が5200石を領し、その子信盛の代に加増をうけ、慶安2年(1649)に1万石を加増
され諸侯に列した。信之の代に2万200石、信友の代に2万2,200石となった。陣屋は信友の子信峯により築かれた。陣屋は土塁と
空堀を巡らせていたと言われるが、今は跡形もない。
幕末には砲術家の高島秋帆の身柄を預かっている。現在は陣屋址敷地に石碑がある。その後、明治維新まで安倍氏の居館として
用いられたが、慶応4年(1868)、藩主信発が明治新政府側に自ら願い出て三河国半原藩(愛知県新城市)へ移転したため、岡部
陣屋は廃止された。                                 (Wikipipediaより引用)

「安倍」=「あんべ」と読むようです。
岡部陣屋跡は、岡部藩陣屋跡の名称で、埼玉県指定旧跡(昭和13年(1938)3月31日指定)となっています。
指定概要は、幕末の兵学者でわが国近代砲術の祖、高島 秋帆が讒訴され、一時幽閉されたところ。
ということで、陣屋跡そのもの価値でなく、高島秋帆が一時幽閉されたところに価値を見出しているようです。何もない陣屋跡
では仕方ない話ですが・・・




国道17号線(中山道)を群馬方向に進んだ場合、岡部(北)交差点の左一角に「史跡 高島秋帆幽閉地入口」の標柱ががあります。
一瞬、団地入口なんて読んでしまいそうですが、ここを左折(写真を撮る角度を失敗しました)




左側にある岡部郵便局を通り越して少し行った右側に「高島秋帆史蹟」の標柱がありますので路地を右折(やはり写真失敗)




少し進むと左進行方向側に石碑と説明板があります。このあたり一帯が陣屋跡のようですが、遺構はありません。




石碑は、残念ながら岡部陣屋跡碑ではありません。高島秋帆の事が細々と書かれた碑です。




この説明板も岡部陣屋跡についてのものでなく「高島秋帆幽閉の地」の説明板です。
高島秋帆の存在がなかったら、ここには何も建てられず、ただの畑か住宅になっていたでしょう。




やはり岡部地内にある岡部藩主安部氏の菩提寺である源勝院




門前にある岡部藩の説明板 安部氏についての説明がなされています




本堂




院号「源勝院」の扁額




安部大蔵元真の碑




2代から13代の墓




同上 反対方向から




陣屋跡地を訪ねたにも関わらず陣屋の痕跡を見ることなく散策を終えるのは寂しいものですから、市内岡3313にある金昌寺に
移築されている岡部陣屋の長屋門を見に・・・大分改修されていますが大きな長屋門です。




狭い道路からでは、長屋門全体を撮るのは難しいので・・・




3方向から撮った3方向目の写真です。




これは境内から。




そしてこれは市内某所の民家に移築されている岡部陣屋の通用門。
一般の民家ですので失礼にならないよう外から1枚だけで・・・

散策日:平成29年(2017)12月14日(木)・19日(火)

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