四季・めぐりめぐりて

近隣の城館跡・古墳などの史跡めぐりなどをぼちぼちながらやっています

清水冠者源義高終焉の地(埼玉県狭山市)

2016年12月18日 | 史跡・遺跡・文化財


木曽(源)義仲の嫡子清水冠者源義高終焉の地とされ義高を祀っている清水八幡宮(狭山市入間川3丁目に所在)を訪ねてきました。

この地が義高ノ終焉の地になったかの経緯については下の案内(説明)板「清水八幡」に記されている通りですので省略しますが、
義高の祖父帯刀先生(たてわきせんじょう)源義賢の居館と伝えられる大蔵館跡(嵐山町大蔵)、義賢の墓とされる五輪塔(嵐山町大蔵)、
義高の父義仲の誕生の地とされ、更に義高の母と言われている山吹姫の墓がある班渓寺(嵐山町鎌形)等、木曽義仲に関係する地を巡って
きましたので義高ノ終焉の地を訪ねないわけには行きません。義高がこの地で終焉を迎えたときの年齢はわずか12歳だったそうです。




清水八幡に向かって右側は国道16号線が走り、左側は住宅街であり、境内と言っても非常に狭いところです。
車の場合は、駐車場所に苦労しますが、私が訪問時はこの石段の前が空いていましたのでここに駐車させていただきました。




国道を走っていても見落としそうな小さな社です。「清水冠者源義高終焉の地」の大きな看板が目印になります。




鳥居には「清水八幡宮」の社額(扁額)が架かっています。




社号は八幡宮であるが祭神は義高1柱のみであり、他は祀られていないようです。




この本堂中に永享2年(1430)石祠(せきし)が安置されているとのことですが見ることはできません




本堂裏には小さな社(祠?)が




境内に設置されている「清水八幡」案内(説明)板




上の案内(説明)板の隣にある「祭神 清水冠者義高」の看板ですが判読できない状態になっています




「清水冠者源義高終焉の地」の看板の裏には清和源氏略系図が書かれていました




散策日:2016(平成28)年12月17日(土)

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。