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カバー事情@香港ポップス(続き)

2009年07月05日 05時58分11秒 | 香港芸能
 (カバー事情@香港ポップスから続き)
 香港でカバー曲の多さにびっくりしていた90年代前半、もうひとつ不思議に思っていたことがあった。
 香港って、シングルCDがない・・・
 日本だと、多くのアーチストがアルバムの合間にシングルCDを発売する。(現在ではネット配信だけの場合も多いが、当時は8cmシングルがまだ多数発売されていた。)アルバムの発売は2、3年に1作品になってしまっても、半年から1年くらいの間隔でシングルが発売されていると、長期間何もしていないようには見えない(笑)
 香港のCD・カセットショップには、昔のLPレコードを見かけることはあっても、シングルCDは見当たらなかった。当時は大体全部のタイトルにCDとカセットの両方が発売されている様子で、私もお試しに何本かカセットを買ったことがある(ちょうどCDの半額くらいなので^^;)
 カセットと同時発売のせいか、A面B面を意識したような曲構成の作品があったり(前半はバラード系、後半はダンス系など)、カセットの歌詞カードをそのままCDに転用してたり。日本ではあまり無さそうなことだ。
 そしてアルバムが、日本のシングル並み(?!)に近い頻度で次々出てくる 一応アルバムなので、曲数は平均10曲。カラオケは入ってないことが多い。頻度は最低でも前作から1年過ぎる前、平均すると2年で3枚くらい? さらに多くの歌手はときどき台湾に行って國語アルバムも出すわけで、、、忙しい EPと呼ばれる3、4曲入りのCDもたまに発売されているが、そればかり続くとファンが納得しないらしいのだ。
 広東語の先生に一度「どうしてシングルがないの?」ときいてみたら、「そんなの、曲数が少なすぎて誰も買わないと思う」という答えが返ってきた。日本留学経験があって日本のシングルCDも知っていた先生だが、シングルでは1曲あたりが高くつきすぎる感じがするらしい…。
 “お買い得感”“1枚での聴き応え”を求める香港の聴衆のために、「それなりの頻度でアルバム発売」は、香港ポップス界で譲れない部分だったかと思われる。
 となると、一人のアーチストが必要とする曲の数はどうしても多くなる。それに見合うほど多くの作曲家がいたわけでもなく、、、カバーに頼らざるを得なかったのか

 カバー曲を自然に受け入れるのは、音楽では圧倒的に輸入超過の香港だが、映画やドラマではかなり輸出していて、コンテンツの売買を正当なビジネスの一環と捉える感覚が根付いていたことも、理由のひとつかもしれない。地域によってはちゃんと許諾を得ずにパクってしまったり、許諾を得てもすぐ著作権料を払わなかったりすることが時々あった時代、香港“だけ”はきちんと払っていたという話を聞いた。売る側の立場もわかっているし、許諾の手続きに慣れてもいたのだろう。
 (日本では外国曲の日本語カバーがほとんどなくなってしまったので、香港で耳にするカバー曲が“パクり”だと勘違いする日本人がいるが、実際にはまずそんなことはない。)
 系列・提携レーベルのアーチストをカバーしてヒットさせれば、カバーされたオリジナルも注目され、そちらのプロモーション効果も期待できるかもしれない。ビジネスとして一石二鳥

 前述のマイミクさんの日記に、「過去の香港歌謡界は、J-POPや洋楽のヒット曲にただ中国語の歌詞をかぶせて流行らせるスタイルが多かった。こういう安直なスタイルはワタシは好みません。」と書かれていた。
 たしかに、楽曲を制作する過程でもっとも大きな労力が必要なメロディの創造を、すでにあるもので済ませるのだから、その部分は安直だ。
 けれども、数多くの曲の中からアーチストに合ったものを選び、詞をつけアレンジして仕上げていく過程からは、オリジナルと大きな差はないと思う。海外のヒット曲なら楽曲のクォリティは確かだから、ヒットにつなげられる確率は高いけれど、だからといって必ず売れる保証はない。
 ひとたび楽曲として世に出たら、それがカバーかオリジナルかに関係なく、ファンに受け入れられるかどうかだ。受け入れられたら、それはリスナー一人ひとりの思い出の歌のひとつになっていく。
 香港のコンサートで、懐メロメドレーのコーナーになると、日本の曲のカバーがたくさん出てきて、日本人の私たちも香港の観客といっしょになって盛り上がれる。吉川晃司の「モニカ」を思い出しつつ張國榮(レスリー・チャン)の「Monica」を合唱したりすると、ちょっぴり香港人気分が味わえて楽しい。
 香港に住む少し前くらいから、あまり洋楽を聴かなくなっていた私は、下手すると香港でのカバーのほうを先に聴いてしまって、後からオリジナルを聴いてかえって気に入らなかったり(笑) J-popでも、オリジナルを聴いたことがないけど香港のカバーがとても気に入って、オリジナルを探してるのだがまだ見つからないでいる曲があったりする。
 オリジナルを聴いてても聴いてなくても、香港カバー版を聴いてその広東語詞の歌をみんなで共有する・・・そこに香港社会の連帯感みたいなものがあったような気がする。
 「オリジナルを重視しよう」という流れが起き、商業電台が「カバー曲をオンエアしない」という方針を打ち出したとき、「海外のすぐれた楽曲を広東語詞で聴く機会を、リスナーから奪うべきではない」と葉蒨文(サリー・イップ)がコメントしたのは、そんな空気を代弁したものだったかもしれない。

 カバー曲でも全然OKだった香港ポップス界に、「オリジナルを重視しよう」という流れが起きた遠因は、93年のBEYONDリードボーカル・黄家駒(ウォン・カーコイ)の事故死だったと言われる。
 アジア各地のポップスの状況を紹介する番組で、音楽家の三枝成彰が「曲を作れて歌えてアイドル性もある、日本ならサザンの桑田とチェッカーズの藤井フミヤをあわせたくらいの人が亡くなったんですよ」とコメントしていて、私はよく言ってくれた!と思った。本当にそれくらいの人だった。
 どうしてBEYONDは日本市場に出て行こうとしなければならなかったのか。どうして香港で、自由に音楽を作っていく場がなかったのか。
 作れる人は、育てなければ育たない。このままカバーに頼っていては、新しい作り手は出てこられない。そんな危機感が、香港の音楽人たちの中に生まれてきたのだろう。
 そして、商業電台の「カバー曲オンエア中止」宣言(たしか96年)。当時は下手すると、ヒット曲の半分くらい、オンエアできなくなるところだ。それでも敢えて踏み切った。やがて商業電台から、ヒップホップやロックのアーチストが次々育っていく。
 ひとたび「カバーはダサい」という風潮が出てくると、カバー曲の割合は急速に減り始めた。ゼロにはならないまでも、明らかに半分以下になり、オンエアするメイントラックにカバー曲を持ってくることは少なくなった。
 カバーするなら、アーチスト本人が強く希望するもの、敬意をこめたトリビュートに近い形になっていく。サザンの「TSUNAMI」は張學友(ジャッキー・チョン)や許志安(アンディ・ホイ)など大物が版権獲得に乗り出したが、獲得したのは蘇永康(ウィリアム・ソー)だった。(けっこう大枚はたいたらしい^^;)
 CDが以前ほど売れなくなり、市場が小さくなったといっても、依然としてアルバム中心の香港で、必要とされる楽曲数は歌手の数の割に多い状態が続く。しかし、グループで仕事をする形態がうまく若手の作曲家たちを育てる形になってきた。雷頌徳(マーク・ロイ)のOn your mark、Hanjin Tanや馮翰銘などのInvisible Men、歌詞カードのクレジットにその他いろいろな音楽人グループが@~~という形で見ることができる。
 そして、2005年。作れて歌えてクールな新人の大量デビュー。側田(ジャスティン)、王菀之(イヴァナ・ウォン)、方大同(カリウ・フォン)、張繼聰(ルイス・チョン)。デビューはもう少し早いが、張敬軒(ヒンズ・チョン)も入れていいだろう。自分で曲を書かなくても、強い個性を確立する衛蘭(ジャニス)や謝安(ケイ・ツェ)。もう流れは止まらない。
 この1、2年はバンドの人気も高まっている。05年デビュー組のSolerに加え、Mr.、RubberBand、Dear Jane、朱凌凌などなど。彼らの辞書に海外曲の広東語カバーという字はないかも^^;(聴いて育っているだろうけど。)
 今後の香港ポップス界で、海外曲の広東語カバーはどんな位置づけになっていくだろうか。以前ほど無理してアルバムを続けて出さなくても、ファンがすぐ離れるという感じではなくなってきたし、地元の音楽人も育っているしで、やたらにカバーする必要はもうない。やはりアーチスト本人の意思や、レーベル全体の戦略から、よりすぐった楽曲だけがカバーされていくんじゃないかと思う。張敬軒がRihannaの曲をデュエットでカバーした例などは、まさにユニバーサルの戦略のひとつだろう。

 オリジナルは地味だったのに、カバーされて違う魅力が引き出され、生まれ変わっていく楽曲がある。香港ポップスには、そんなカバーが数多くある。(もちろん、楽曲のクォリティに頼ってるだけのつまらない曲もあるけれど^^;)
 安易さではなく、豊かさを求めてのカバー。これからは、そんな形になっていってほしい
コメント (6)
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