週刊朝日の「週刊司馬遼太郎」
今は旅順攻防と開戦前夜のシリーズですが、
「余談の余談」(和田宏)に興味深い文章がありました。
『筆者(和田宏)の遠縁で、兵隊にとられたのに後方勤務ばかりで危ない目に会ったことのない人がいた。自動車が運転できたからである』
これは太平洋戦争についてです。
『司馬さんは昭和18年の学徒出陣で戦車隊に入れられたが、その300人中、運転免許を持っていたのはたった数人だったという』
私の父も自動車の運転担当でした。戦争で両眼とも失明したので、危ない目にあったのですが、父から聞く話は危ない話以外が多かったです。
現地の人から果物をもらって食べた。マンゴー、ドリアン、とてもおいしかったとか。お礼にはタバコをあげたとか。
上官からコンビーフをもらったとか。
父が運転できたのは、自転車店に奉公していたら、自動車の方もやるようになったらしいです。
それは、とても貴重なものだったのですね。
父が運転していたのは、「ダッジにシボレー。ルノーやシトロエン」
子供の頃は、外車でいいなぁと思ってましたが、考えてみれば連合国側のメーカー。
ちょっと変な感じなのです。
生前にもっといろいろ聞いておけばよかったです。
今は旅順攻防と開戦前夜のシリーズですが、
「余談の余談」(和田宏)に興味深い文章がありました。
『筆者(和田宏)の遠縁で、兵隊にとられたのに後方勤務ばかりで危ない目に会ったことのない人がいた。自動車が運転できたからである』
これは太平洋戦争についてです。
『司馬さんは昭和18年の学徒出陣で戦車隊に入れられたが、その300人中、運転免許を持っていたのはたった数人だったという』
私の父も自動車の運転担当でした。戦争で両眼とも失明したので、危ない目にあったのですが、父から聞く話は危ない話以外が多かったです。
現地の人から果物をもらって食べた。マンゴー、ドリアン、とてもおいしかったとか。お礼にはタバコをあげたとか。
上官からコンビーフをもらったとか。
父が運転できたのは、自転車店に奉公していたら、自動車の方もやるようになったらしいです。
それは、とても貴重なものだったのですね。
父が運転していたのは、「ダッジにシボレー。ルノーやシトロエン」
子供の頃は、外車でいいなぁと思ってましたが、考えてみれば連合国側のメーカー。
ちょっと変な感じなのです。
生前にもっといろいろ聞いておけばよかったです。
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