昨日の名古屋国際女子マラソンは、優勝争いとは別に、高橋尚子選手のラストランとしての放映でもありました。
勝負に関係なく走っている選手に、ずっとカメラがついているというのは、特別なことだと思います。
観衆に手を振る高橋選手、声援を送る観衆。ずっと、その姿が続くのは、さすがはQちゃんという感じでした。
テレビ解説をしていた、瀬古利彦氏。一緒に解説をしている、有森裕子さんのラストラン(2007年東京マラソン)については、ちょっと触れたものの、ご自分の引退レースについては特に語りませんでした。
それは、1988年12月18日、第一回国際千葉駅伝のアンカーでした。
もちろん、日本チームの優勝をかけた最重要区間としての引退レース。
3位でタスキを受け取り、途中2位に上がるも、結局3位でゴール。
その時の沿道の観衆、声援の大きさは、今回の高橋尚子さんへの声援に勝るとも劣らない盛大なものでした。
時に、瀬古利彦32歳。まだまだ現役でやれるのではないかという声も多かったです。
宗兄弟、伊藤国光、喜多秀喜、中山竹通、児玉泰介、谷口浩美、森下広一等々、世界で戦うマラソンランナーが多数輩出していた時代でした。
これからも、きっと世界で戦える選手が出てくるはずです。
「歴史は繰り返す」という言葉がプラスの方向で使われることを祈ります。
勝負に関係なく走っている選手に、ずっとカメラがついているというのは、特別なことだと思います。
観衆に手を振る高橋選手、声援を送る観衆。ずっと、その姿が続くのは、さすがはQちゃんという感じでした。
テレビ解説をしていた、瀬古利彦氏。一緒に解説をしている、有森裕子さんのラストラン(2007年東京マラソン)については、ちょっと触れたものの、ご自分の引退レースについては特に語りませんでした。
それは、1988年12月18日、第一回国際千葉駅伝のアンカーでした。
もちろん、日本チームの優勝をかけた最重要区間としての引退レース。
3位でタスキを受け取り、途中2位に上がるも、結局3位でゴール。
その時の沿道の観衆、声援の大きさは、今回の高橋尚子さんへの声援に勝るとも劣らない盛大なものでした。
時に、瀬古利彦32歳。まだまだ現役でやれるのではないかという声も多かったです。
宗兄弟、伊藤国光、喜多秀喜、中山竹通、児玉泰介、谷口浩美、森下広一等々、世界で戦うマラソンランナーが多数輩出していた時代でした。
これからも、きっと世界で戦える選手が出てくるはずです。
「歴史は繰り返す」という言葉がプラスの方向で使われることを祈ります。
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