よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

Twitter+場力で変化する「まなび」

2010年05月11日 | 技術経営MOT
RESEARCH FORUM OF HEALTH SERVICES INNOVATION(略称、「いのへる」)の寺子屋ワークショップが開かれました。そのちょっと前に「バーチャルとリアルな学びの融合」というインサイトフルなイベントをUstream経由で参加させてもらいました。これらのイベントに接してみて、「まなび」のあり方がずいぶん変化しているように感じました。

ちなみに、「いのへる」のTwitterのハッシュタグは#innohealthです。Twitterをやられている方は追いかけてみてください。

もともと「いのへる」はTwitterがらみで知り合った大学院界隈のプロフェッショナルなバックグラウンドを持つ仲間と、「なにか本当に勉強になることをやろうよ!」という気持ちから出発したものです。

実は、ネットを利用したeラーニングについては以前経営していた会社で事業化したことがあり、「eラーニング入門」という実務書を執筆したこともあります。それやこれやで、ネットとまなびについては並々ならぬ関心を持っています。

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ここから本題です。

2000年ごろまではBlended Learningといった考え方が中心で、サーバに置いたLearning Management System(LMS)からクライアント側にパッケージ化されたモジュール(学習メニュー)を配信するといったビジネスモデルが中心でした。古い用語ですが、このようなビジネスモデルを前提としたものが、いわゆるeラーニングですね。

同期・非同期を問わず、学習メニューの供給者がコストを負担して、顧客(法人や個人)を開拓するためのマーケティング、営業を行い、学習メニューを「配信」するというものです。

リアル感覚を演出するためのコーチ役や、メンター役のシステム化や人件費がバカにならず、このあたりの事情が、eラーニング各社の収益構造を圧迫しています。

サプライヤーがコスト負担をするモデルでは、多額の資本を要します。したがって、eラーニング各社は、こぞってLMS、コンテンツ、ナレッジ・マネジメントのアプリなどの分野に絞り込んで差別化を図るビジネスモデルを追求してきています。業界の中でもほんのわずかですが、エッジの聞いたeラーニングのスタートアップスはVCなどから投資を受けることができました。

さて、2007年ごろから、ネット環境にSocial Streaming系のクラウドサービスが登場してしだいに普及し始めました。なかでもTwitterとUstream(Tw+Ustなど)の登場はラーニング環境の変化として衝撃的です。なにが衝撃的なのでしょか。3つほど理由があります。

(1)リアルとバーチャルの相互浸透
そもそもネットがない頃、なにがバーチャルだったのでしょうか?本の中の世界?テレビの中の世界?ネットの浸透によって、私たちは、無意識的に自分の手で触りづらいもの=ネット経由で伝わってくるもの=バーチャルというように感じているようです。

eラーニングという言葉で括られていた時代では、あくまで対面や教室の中で、講師と生徒が触れることのできる距離で学ぶことがリアルで、それ以外はバーチャルであるというような区分がされていました。

しかし、Tw+Ust等は本質的にリアルとバーチャルの区分を無実化しているようです。あるいはリアルとバーチャルを区分するかしないか、またはその区分の程度を、当事者に委ねるようになってきています。つまり、その区分を意識しない人にとっては、二項対立の区分はどうでもいいようなものとなりつつあります。中原淳さんは、『バーチャルとリアルという言葉は、もはや、「死語」である』とさえ言っています。共感します。

Tw+Ust等の世界に触れたことのある人は、以上のことを皮膚感覚で理解できると思います。Twで知り合った人に頻繁に、セミナーや飲み会であったり、その逆もありです。「リア充」や「バチャ充」笑)は相互に入れ子構造のように融合し、相互浸透を始めるのです。相互浸透によってもたらされる均衡的な世界にはもはや、リアルとバーチャルの区分は不要です。

リアルとバーチャルの相互浸透のプロセスは、弁証法的に言えば、正・反・合の繰り返しです。で、結局そのプロセスから人は何を獲得したいのかといえば、究極のところ「意味」なのでしょう。意識は世界に物語りを与えようとし、意味を紡ごうとします。紡がれる糸がリアルかバーチャルかは意味にとって決定的なものではありません。

(2)専門知を持つ個人の多能エージェント化
eラーニングの時代はビジネスモデルをインプリするために多額の資本が必要でした。したがって株式会社を設立して、第三者割当増資などのファイナンスのテクニックを駆使して、リソースの集中化を図ったわけです。

ところが、Tw+Ust等を活用して、コンテンツあるいは内容知を持つ個人はいともたやすくサプライヤーになることができるようになったのです。ヒト、モノ、カネ、知といった経営資源のうち、ヒト、モノ、カネはなくても知があれば、サプライヤーになれるのです。

集中から自律分散へ。Decentralizationがまなびの世界にも訪れているようです。それなりの知を持つ人は、だれでも知のサプライヤー、コーチ、そしてユーザになれる。昔、アルビン・トフラーがProsumerということを言っていましたが、さしずめ、まなびのDecentralizationが進めば、個人は、自律的にエージェントとしての能力を場に応じて切り換えて、サプライヤー、コーチ、ユーザにかわりばんこになれるのでしょう。それなりの知をもつ人の多能エージェント化です。

さて、「知」の中には、形式知化してモジュールに落とし込むことがたやすい知もあれば、人間力や知的足腰のようなどちらかというと暗黙知のままでしか伝わらないような知もあります。たぶん、前者は選別や淘汰にさらされ、後者に秀でた人は価値を維持するのでしょう。そして暗黙知系の「知」をマネジメントする「知」、つまり、メタな知をデザインする知的パワーが求められてくるように思われます。

その知的パワーとは換言すれば、暗黙知の編集力といっていいでしょう。暗黙知は「場」に埋め込まれます。絶えず蠢いている文脈(Shared context-in-motion)の束が場だとしたら、まさに、暗黙知の編集力は「場力」なのです。この「場力」を駆動する馬力・人力が問われるのです。

(3)コスト負担のフラット化、互恵化
社会はまなびのサービス・システムです。だれもが低コストでリソースを他者に伝えることができるようになれば、まなびの世界はガラッと変わるでしょう。分散してなまびのリソースを保有する個人が、自分たちを編集して、たがいに、リソースをやりとりするといったゆるいまなびがTw+Ust等の世界に出現しているようです。

そこでは、各自がそれぞれ少しずつリソース提供、時間などのコストを負担しつつ、フラットに繋がりあう互恵的なまなびの生態系が生まれつつあります。

営利性を前面にもってこない(厳密にいえば、株主に配当して内部留保するプレッシャーがない、少ない)NPO、NGO、そして個人が主人公になりうる可能性が高まりつつあります。

そのようなシーンでは、基礎的なネットリテラシーに加え、リアルとバーチャルが相互浸透する「場」を創発させる、「場」に首を突っ込む、「場」に意味づけする、「場」と自分自身の物語をシンクロナイズさせるような場力・人力系コンピテンシー開発が大切になってくるのでしょう。

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リアルとバーチャルを相互に浸透さる専門知を持つ個人が主役になり、多能エージェント化した個人は、ラーナー、ティーチャー、コーチというように位相を変え、まなびのためのコストをそれぞれがフラットに負担して、互恵関係に持ち込む。

このような方向のまなびの変化を感じました。