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よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

真夜中の弥次さん喜多さん

2005年05月12日 | よもやま話、雑談
「真夜中の弥次さん喜多さん」はおなかの筋肉が痛むほど笑いをこらえなければならないほど面白い映画だ。

「オイラ、リヤルがとんと分からねえ」と叫ぶドラック中毒の同性の恋人・喜多八(中村七之助)を、なんとか立ち直らせたい弥次郎兵衛(長瀬智也)は、「リヤルは当地にあり!」と書かれたお伊勢参りのカードに一縷の望みを託し、お伊勢参りの旅に旅立つ。手に手をとってお伊勢さんを目指し江戸を後にするディープに愛し合うホモセクシャルな2人。禁断症状に苦しむ喜多さんを連れての旅は、波乱につぐ波乱の連続だ。

終盤に入り、旅先は黄泉の国へと至る。現実の世界で、喜多さんに殺されていた弥次さんは三途の川をどうしても渡るためになんと三途の川の源流にまで遡り、亡者を振り切り、弥次さんが殺してしまった亡き妻と遭遇する。三途の川の源流までさかのぼるというのが抱腹絶倒ものだ。

現実と非現実、この世とあの世が錯綜するめまぐるしさはメタ認知の転換を随所に鑑賞者に要求する。入子構造のようなストーリー展開のあちらこちらに、下品な和風なギャグがちりばめられる。この種のギャグは日本人しかわからないだろう。けっして品のいいしろものではないが。

ただし、無節操なストーリー展開の背後には輪廻転生のどっしりしたテーマがきちんと横たわっている。笑いの向こうに実は非常に冷徹な哲学のテーマが設定されているのがこの作品の味わい深いところだ。それゆえに馬鹿笑いをした後の後味はたんなるコメディーのものではない。笑いの奥底に悲しみが、悲しみの横に哲学がある、そんな演出が小気味良い。





幕張新都心の風景

2005年04月28日 | よもやま話、雑談
月並みな表現をすれば、現代的なビジネスパークやショッピングセンター、アミューズメント・ファシリティーが集まるモダンな街か。

アスファルト。鉱物質。銀色。人工的。東京湾。海の香り。潮風。のっぺり。すっきり。いろいろな言葉が浮かんでくる。アーティフィシャルではあるが、スーパーフィッシャルではけっしてない。けっこうアメリカの中西部や西海岸あたりの新興都市の街並みをムリしてコピーした部分もあったりするし、へんなところでヌケていることろもある。

"Techno Garden"と表示すべきをわざわざ"Tekuno Garden"と表記している道路標識は、ご愛嬌といったところか。この道路標識を見るたびに、思わず笑ってしまう。赤提灯、一杯飲み屋みたいな生活の隙間のようなちょっとした空間も欲しい。

ときめき感覚

2005年04月20日 | よもやま話、雑談
視覚、聴覚、嗅覚、運動感覚、身体感覚。いろいろな感覚をめぐらせて、そしてかこまれて人は暮らしている。春がときめきに満ちているのは、これらの感覚領域が世界に向かって芽吹いて身のまわりのぐるりのものに開放的になれるからか。

ときめきという感覚はさりげなくもオープンでエロティックな感覚だ。その特殊な感覚のまわりには視覚、聴覚、嗅覚、運動感覚、身体感覚などいろいろな感覚がまじわり、むすびつく。

感覚の地平線に認識が立ち上がるとしたら、より豊穣な感覚世界こそがより可能性に満ちた認識を約束してくれることになるだろう。ときめきは秘儀参入への階梯かもしれない。

満開の山桜

2005年04月18日 | よもやま話、雑談
あまり知られてはいないが、印旛沼の周辺には素晴しい磁場を放つ場所がある。その場所は吉高の大桜。毎年4月の上旬に印旛沼のほとりの小高い丘の上に清楚な山桜を開花させる一本の古木がある。その古木と満開の山桜をめでるために近隣から多くの人々が集まる。

ケアリング志向の庭文化

2005年03月22日 | よもやま話、雑談
箱庭療法は、ユングに端を発しその後、イギリスのD.カルフによってつくられた治療法の一つ。カルフは箱の中に砂をいれ、その中にいろいろな人形をおいて一つのまとまった世界を構成してゆく方法を提唱した。

箱庭を作り上げてゆくプロセスと結果を箱庭カウンセラーは制作者であるクライエントとともに味わう。さらに、カウンセラーは作り上げられた箱庭の分析を行うことで、制作者の意識の底に隠蔽された様々なメッセージを読み取る。また、制作者は内面に織り込まれた葛藤や意識を表現することによって、抑圧された感情をカタルシス(浄化)することができるとされている。

カルフが提唱した箱庭療法は過激なまでに療法としてアーティフィシャルだ。反面、日本には盆栽や、独自の箱庭や坪庭が病んだ人々の療法ではなく、ごく普通の健常な人々の嗜みとして日常生活の一画に文化として存在してきた。

日本の盆栽、箱庭、坪庭の生活文化は自然共存型で、かつ癒しのメカニズムを無理なく内包しているという点で深い部分でケアリング志向なのかもしれない。英国風のガーデニングがブームではあるが、その背後には長らく自然共存によるケアリングを志向してきた日本ならではの盆栽、箱庭、坪庭の庭園文化への回帰への息遣いが垣間見れる。

我が家の庭は日本風、ヨーロッパ風が習合した雑種系だが、せっそうのない雑種系ということ自体も現代日本的な要素か。そんなことをつらつら思い巡らしながら庭をいじるのも楽しいものだ。




葉牡丹

2005年03月20日 | よもやま話、雑談
随分まえにサントリーの白州工場で、ウイスキー醸造用の木樽を半分に割って創った園芸用のプランターを求めた。

それを庭先において毎年いろいろな花を植えている。葉牡丹は寒いうちからきれいだが、このところの陽気にあたってか、淡い色の輪郭がはっきり増してきている。

ヘルマンヘッセは「庭仕事」のなかで、庭には宇宙があると言っている。なるほど、宇宙の中の庭、庭の中の宇宙。庭のなかの小宇宙をいじくるというのは、ある種ヒーリング効果があり、箱庭療法として心身の健全さを保つ、回復するはたらきもあるという。


宇都宮のぎょうざ

2005年03月17日 | よもやま話、雑談
昨日、会社でいろいろな会議が終わってから宇都宮へ日帰り。東京から一時間足らずで行けるので泊るほどの距離ではない。

国立病院機構宇都宮病院で地域のいろいろな病院の方々を含めて勉強会でスピーカーをするためだ。

独立行政法人や国立病院機構は、おしなべて独立採算、自主独立経営へ大きく舵を切り直している。従来の「親方日の丸」方式では財源の確保ができなく、また「非営利」の美名のもとで非効率の巣窟と化してきた国公立の医療機関を、国や自治体としてももう面倒ができませんよ、というのがこれらの動きの背後にある。

宇都宮は10年ちょっと前に、「ぎょうざの町」に急変した。たしかに市内にぎょうざ店が200店以上あるので、競争が激しい。はげしい競争が味、サービス、価格においてさらに競争をもたらしている。消費者にとってはよいことである。

香蘭という店はなんと、ぎょうざと水しか出さない。ビールもごはんさえもない。ひたすらギョウザだけの世界。全国からその味を求めてやってくる人はひきもきらない。ダントツの味=強烈な差別化が得意なポジションに繋がっている。医療機関にもダントツの医療サービス=強烈な差別化が必要なのはいうまでもない。








ふきのとう

2005年03月13日 | よもやま話、雑談
春の風はふきのとうを運んでくる。淡い緑色のふきのとうは、ほのかに爽やかな香りとそこはかとない苦味とともに春の到来を告げる。

アイヌの神話に出てくる妖精コロボックルはアイヌ語で「フキの下の人」。そしてコロボックルの好物がふきのとう。ふきのとうには春の風に乗って、妖精たちがあそび集う。妖精に誘われて人間たちもふきのとうを採りにやってくる。

さて、印旛沼サイクリングロードの周辺には山菜が群生する秘密の場所がたくさんある。毎年、今ぐらいの時期からふきのとうに始まり、たらの芽、つくし、たけのこと4月中旬までは文字どうり山菜狩の季節。

西印旛沼の北側の里山と沼の脇の平地の境あたりの農家のかたわらやあぜ道の横の山林への境界線あたりが狙い目。


「印」とキーボード

2005年03月09日 | よもやま話、雑談
体と脳は密接に繋がっている。脳を活性化させるためには体、なかでも手や指をこねくりまわすように動かすといい。

密教の方では身体、言語、意識の三つの作用を三密といい、身業(身体)、語業(言語)、意業(意識)の三業から離れることを解脱行の第一歩とする。

さて、このような密教の体系のなかでは手や指をこねくりまわすようなある種の行法がある。印(いん)を結ぶというものだ。指や掌をいろいろな形に組み立て、さまざまな姿をつくり、変幻自在に変化させるのだ。印には、観想といってある種のイメージ、想念すべきカタチも付随している。

さて、意識のなかに湧き出でて、紡ぎ出る言霊を転換する装置としてキーボードをカタカタたたくのも指の運動だ。パソコンを使ったモノカキの作業のあいま、あいまに印を結ぶと仕事がはかどる。

たぶん、身体、言語、意識がかさなりあった深いところに息づいている表現のための質をともなった感覚領域(クオリア)が刺激されるからだろう。はたまた、言霊に身体性が与えられて、言葉が息吹くからか。


小倉へ

2005年02月20日 | よもやま話、雑談
金曜日にいろいろなミーティングを行ってから、アメリカで知り合ったベンチャー企業の経営者の方の訪問を受ける。資本政策やVCの動向などについて情報交換。けっこう面白かった。

それから海浜幕張の駅から羽田空港まで拘束バスで移動。新しくなった羽田空港のターミナルから福岡までフライト。そこから地下鉄、新幹線と乗り継いで小倉へ。その間、会社のCRM/SFA関係の資料に目を通す。面白い。出版社から依頼されている原稿にも手を加える。それから大学との提携ビジネスのアイディア出しを新聞紙の余白に書きなぐりながらやる。移動しながらの仕事はいつも通りだが。

夜、グレードアップ・ラボの長野先生を含め3人の先生がたとリーガロイヤルホテル小倉で明日の講演の下打ち合わせをしながら会食。楽しいひと時。それからばたっと寝て、朝、すっきり起きて朝食。小倉なので明太子が美味しい。明太子が美味しいと自然にたくさんご飯を食べてしまう。それからワークショップ形式で話をする。

ワークショップが終わると、急がなければ飛行機に乗れない時刻。わさわさ身支度をして昨日の逆コースをけっこうぎりぎりのタイミングで乗り継いで、やっと海浜幕張まで帰ってきた。

忙しさの連続だからビジネスと言うそうな。