よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

曼荼羅か粘菌のようなノート

2008年11月29日 | よもやま話、雑談

(この図案の知的財産権はやまとたくや氏に帰属します)

この絵は、今一世さんの講演に参加したM2のやまとたくやクンのノート。ご本人のOK、許諾のもとアップさせていただく。

はじめてコレを見たとき、なんと美しい絵か!と思った。聞けば先日の講演の記録だという。彼は高いお金を払ってマインドマップのセミナーに参加したそうだ。

それまでは、本のテーマアップや、ビジネスのネタ探しなど拡散的アイディア出しによく使っていたが、講義や講演の記録としてマインドマップを見たのはこれが初めて。

なるほど、こういう使い方もあるのかと気がついた次第。そしてこの曼荼羅のようなノートを絵を見るような気持ちで眺めること3分、マル秘のいい着想を得たのだ。たぶんリニアーな論理ではなく、全体のテーマを絵を眺めるように俯瞰することによって、ちょっとした右脳の回路がピンときたんじゃないか。

マインドマップ捨てがたし。


いま、ここに。

2008年06月25日 | よもやま話、雑談
アントレプレナーシップ論の授業を取っているO崎君がアメリカに留学するという。

いたってうれしそう。
目が輝いている。

ああ、いいな。
オレもこういう目をしてアメリカに行ったのか。
でも彼女と別れるのはつらかったよな。

まばゆい未来への道筋は人を明るくする。
人は仮想する明るい未来があってこそ、
「いま、ここ」を明るくすることができる。

そして「いま、ここ」が陰鬱にみちたジメッとした
うつろなものであるのなら、未来も鬱勃な予兆で
満たされてしまう。

鬱勃たる「いま、ここ」に耐え切れなくなり
秋葉原で、あの青年は
多くの「いま、ここ」のみならず、
仮想する未来を殺戮した。

コヘレント感覚を喪失すると
人は、アノミーに陥る。
格差社会とは、コヘレント感覚の格差
なのかもしれない。

似たような年代のふたりの青年、
そこに隔絶と格差があることを
覆い隠すことはしない。

だからO君。
君は本当に恵まれているのだ。
そして自分の立ち位置を
「いま、ここ」の時代を俯瞰して
眺めてみるといいだろう。

アメリカでの生活がはじまったら
Be here now!
と朝に晩に自分に言ったらよいだろう。

そうしたら、次なる未来に
だんだん気がつくだろう。

次なる未来、
これを目標といってもいいかもしれない。

人は、仮想する明るい目標があってこそ、
「いま、ここ」を明るくすることができる。

インドとネパールを自転車で旅した話

2008年01月30日 | よもやま話、雑談
いつかは、インドとネパールを走った記録をまとまった
文章にしたいと思っていた矢先、いっしょに仲間となりインド
とネパールを走ったH君が彼のブログ
延々と書き連ねているではないか。

なんと。
もはや。
やられた。
いや、
よくやってくれた。
ありがとう。

読んでみると実に面白い。
愉快だ。
楽しい。
そして、
ちょっと郷愁の念がよぎったりする。

ああ、忘れていたあの村の名前はそうだったのか。
あの町から、あの村までは40キロだったのか。
あんなバカげたことを僕がやったのか。
あいつ、よくあんなことまで憶えていてくれたなあ。
あいつ、あのとき、あんなことを想っていたんだなあ。

彼はその風来坊のような風采とは異なり、
けっこうマメなところもある。
その証拠に、彼の日記やその他の記録がやたら充実しており、
ブログの記事内容は、詳細に渡って僕の記録と記憶を凌駕している。

こうして写真つきで公表してもらえると、これから同じようなルート
を走ることを計画しているサイクリストにとって有益なコンテンツと
なるだろう。あるいは同じルートを最近走ったサイクリストがいれば、
時代を越えて比較してみるのも面白いだろう。

いずれにせよ、H君の連載に期待!


「ALWAYS 続・三丁目の夕日」は・・・泣ける

2007年11月11日 | よもやま話、雑談
2年前に大ヒットした前作は、昭和34年の東京が舞台。この年、東京タワーはまだ建設中。日本橋の上には高速道路もない。羽田空港もできたばかり、という懐かしい東京の姿に、年輩者、若者を問わず心を打たれた。

今回のALWAYS 続・三丁目の夕日は、前作から4カ月後の設定。やっと東京タワーも完成した。売れない作家・茶川(吉岡秀隆)は、小料理店の元おかみで大衆演劇場の踊り子のヒロミ(小雪)と、身寄りのない少年・淳之介(須賀健太)と3人でつつましやかに暮らすことを夢みる。そして、芥川賞受賞を目指してモノ書き稼業で生活を立ててゆくことを決意する。

感動的なのは、映像の細部に対する徹底的なこだわり。真鍮の地金がはげて見え隠れする水道の蛇口、電柱、電球、ミシンの踏み板、駄菓子、漫画本、煙草、町並みにならぶ昭和30年代の看板、登場人物の服装は当時を知るものを唸らせる。またYS11やこだま号のデジタル映像技術をフル活用した特撮もリアルの一言。見事なできばえだ。

しかし、この映画が提供する経験価値は、特撮技術、ストーリー展開もさることながら、平成の時代がともすれば忘れかけてしまった、ある種の精神への回帰を観るものに対していざなうことだろう。

貧しくも希望に満ち満ちていたあのころ。
高度経済成長がはじまろうとする時代ながらも、まだまだ人情が街々に充満していたあのころ。
そして三丁目のような人々の絆が日本中の町にごく当たり前のように在ったあのころ。
そして誰もが希望を口にして、未来は素朴に明るいものだった。

少年時代の僕は、この時代を静岡県の浜松市で過ごしたが、映画の中の情景をさらに、地方的に色づけた風景であたりは一杯だった。戦争の傷あとがまだ街をよく観ればのこっていて、格差なんて言葉もなく、みんな一様にほぼ貧乏。白黒テレビが家にやってきたのは小学校の1年生くらいだったか。紙芝居屋という今では見られない、子供むきの娯楽があり、駄菓子を買う小銭がなかったので、よくインチキして紙芝居だけを見たもんだったな。

平成の地平線から眺める昭和30年代は、とうに終わってしまったセピア色の過去の時代にしかすぎないのだろう。しかし、観客は昭和の時代に置いてきた大切なものを、忘却の淵から紡ぎだし、たしかめ、温めなおし、できれば持ち帰りたい、と切に願うだろう。また僕も、そのような観客の一人としてこの映画に触れて、とても深く心を揺すぶられた。

人情
希望
わかちあい
ぬくもり
ひたむきさ
いとおしさ

あの時代を知らない世代や平成生まれの世代にもぜひお勧めしたいものだ。

希望という名のあなた

2007年07月14日 | よもやま話、雑談
「この国にはなんでもある。ないのは希望だけだ」希望の国のエクソダスで村上龍は、反乱を起こした中学生に言わせた。ギョットするような台詞だった。たしかに、街にはモノが溢れ、欲しいモノはなんでも手に入る。欲しい情報もネットを駆使すれば、即座に手に入る。

でも希望がない。

小中高校生の国際比較調査を見ても、日本の青少年の希望度は他の国々とくらべて低い。「希望格差」なんていう造語も受け入れられ、家庭の所得レベル、学歴と持ちうる希望の度合いなどもしきりに議論されつつある。

かつて日本は希望の国だった。

37年前の1970年、「希望」が日本に溢れていたのだ。岸洋子が歌った「希望」だ。時代は高度成長期の只中、多くの日本人にはありったけの希望とたぶんそれ以上の挫折もあった。希望と挫折によって、人のこころにはひだが生まれてくる。希望と挫折とによって生まれるひだのような心情・感性の陰影を国全体がしっくりと受け入れていた。

「希望という名の あなたをたずねて 
 遠い国へと また汽車にのる
 あなたは昔の あたしの思い出
 ふるさとの夢 はじめての恋
 けれどあたしが大人になった日に
 黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
 いつかあなたに また逢うまでは
 あたしの旅は 終わりのない旅」

「希望という名の あなたをたずねて
 今日もあてなく また汽車にのる
 あれからあたしは ただ一人きり
 明日はどんな町につくやら
 あなたのうわさも 時折り聞くけど
 見知らぬ誰かに すれちがうだけ
 いつもあなたの 名を呼びながら
 あたしの旅は 返事のない旅」

「希望という名の あなたをたずねて
 寒い夜更けに また汽車にのる
 悲しみだけが あたしの道連れ
 となりの席に あなたがいれば
 涙ぐむとき そのとき聞こえる
 希望という名の あなたのあの唄
 そうよあなたに また逢うために
 あたしの旅は いままた始まる」
 (『希望』作詞:藤田俊雄 作曲:いずみたく)

山本有三の言葉

2006年03月13日 | よもやま話、雑談
ウェルインベストメント元社長の浅井武夫さんの言葉は妙に記憶に残るものだった。浅井さんは山本有三をなにかにつけ言及されたり、引用されたりする。

山本有三のこの言葉。

たったひとりしかいない自分を
たった一度しかない人生を
本当に生かさなかったら
人間にうまれてきたかいがないじゃないか

引用する詩、散文、作家に共通点があると、人と人の意味空間はぐっと近似して親近感さえ抱くに至る。たとえ世代が違っても、いや世代や職歴、国籍など属人的要素が異なれば異なるほど、知と情が参照する意味の枠組み(frame of reference)を共有できると、そこにパッと意味のノリシロから新しい共有、共感の可能性が立ち上がる。

山本有三のこの言葉に僕は高校生の頃ふれて大いに触発されたものだ。高校、大学時代はいざしらず、しかし働くようになってからは、この言葉を口にすることを忘れていた。また周囲の人間からもこの言葉を聞くことはなかった。

もう随分たち、この言葉を忘れかけた頃、いや、表層意識から深層意識の深みに埋没され記憶の暗い淵に葬り去られようとしている時に、この言葉を蘇らせてくれたのが浅井さんだった。たしかに浅井さんはケアブレインズに快く出資を決めていただいたインベスターだった。そしていつも浅井さんを投資家として見てきたが、この一件以来、会社の将来価値に投資をしてくれるインベスターであると同時に、僕の過去の記憶を忘却の薄くらい曖昧さから紡ぎ出して鼓舞してくれる「意味」へのスペキュレータとなったものだ。

たったひとりしかいない自分を
たった一度しかない人生を
本当に生かさなかったら
人間にうまれてきたかいがないじゃないか

心に対する投資。志に対する投資。共感できるビジョンに対する投資。
人は自分に対してリスクテーカーであるべきだ。人は自分に対する投資家であるべきなのだ。

そんなことを浅井さんから学んだような気がする。











ウェルインベストメントの新旧社長歓送迎会に倫理と義を想う

2006年01月24日 | よもやま話、雑談
今日は仕事の合間をぬって早稲田リーガロイヤルホテルにてウェルインベストメントの新旧社長歓送迎会に参加。200人くらいの関係者が集う盛大な会だった。さすが、日本初の大学発ベンチャーキャピタルである。

退任される浅井武夫社長、会長に就任する松田修一先生にはベンチャー関係の過分な賞を頂いたり、第3社割当増資をお引き受け頂いたり、本当にお世話になっている。

挨拶に立たれた方々のご挨拶で共通する言葉があった。「倫理」である。ときあたかもライブドア事件の顛末で堀江社長が逮捕され堀江容疑者となったのが昨日だ。直接金融、資本市場のプロの方々が多数参列する集まりでは、そこかしこのテーブルでは、この一件の話題がよく出ていた。もって他山の石とすべき、である。

実はアメリカ留学時代に、当地の大学院の正規授業として「ビジネスと倫理」という講座があり、びっくりしたものだ。倫理なんぞ、大学院まで来て高い授業料を払ってまで学ぶ必要なんかない!倫理とは本来、家庭や社会生活全般のなかで学ぶべきものであり、アカデミックにその方法論を学ぶといっても限界があるとの持論を展開し、アメリカ人クラスメートと大議論になったものだ。

資本主義は行動的禁欲主義(アクティーフ・アスケーゼ)の上に成り立つと喝破したのは、かのマックス・ウェーバーである。ビジネスに倫理があるとしたら、行動的禁欲の上に、企業会計原則、証券取引法、商法などの規範と法を逸脱せずに遵守することに尽きるのではないか?

規範と法を遵守することを義と見立てれば、勇気をもって義を尽くす、つまりルールを守ることが義となる。論語に曰く「義を見て為ざるは勇なきなり」と。それやこれやで、テーブルで歓談したとあるベンチャー企業の社長さんとは、いっとき「義」の話に深入りした。

倫理という言葉が行き交う華やかな壇上を眺めながら、自問自答することしきりだった。






★千葉ロッテマリーンズの優勝パレード★24万人が熱狂

2005年11月22日 | よもやま話、雑談
昨年の今頃、千葉ロッテマリーンズはダイエーや西武との統合が取りざたされて千葉県にはとてつもない危機意識が広がっていた。その流れのなかで急遽、千葉県財界が動き出して「千葉ロッテマリーンズかもめの会」なる集まりが結成された。

いろいろあって、5万円の大金を払って(払わせられて)この会に入会した(させられた)のだが、まさか去年の今頃、今日の来る日はまったく予想だに、いや微塵も期待さえしていなかった。ついでに言わせてもらうと、優勝パレード協賛金として、うちの会社は幕張新都心に居を構え、県ともいろいろあるので、なんと、3万円も自主的(誘導的)に喜んで供出している(させられている)。

さて「千葉ロッテマリーンズかもめの会」という任意団体のミッションは、ずばり、他球団との統廃合を阻止して球団としてのロッテの延命をはかることだったのだ。他球団と統合されて、他の地域にもっていかれたら、マリンスタジアムはどうなるんだ?土地を提供した千葉県、スタジアム建設にファイナンスした千葉銀行、その他はどうなる?千葉県経済が蒙る打撃ははかりしれない!

それが、延命どころか、交流戦優勝、リーグ優勝、日本シリーズ優勝、おまけにアジアシリーズ優勝と来た。驚天動地の大逆転。いやはや、まいりました、感動しました!千葉ロッテマリーンズの優勝パレードのあと、ミーハーながら、マリーンスタジアムに小走りして行ってみると、内野、外野の最上段にまで人、人、人、人、人、人。なんと立ち見の満員。たぶんこのスタジアムが開業して以来の満員御礼じゃないのか。

「さらなる夢をかなえるため、みんなと一緒ならきっと実現できる!」こうボビー・バレンタイン監督は開幕にあたって、WBGアリーナで宣言した。そして全日程が終了したこの日に、ボビーはマリンスタジアムを埋め尽くすファンに向かって叫んだ。期せずして、僕はコトの始めと終わりのバレンタイン監督の声を聞いた稀有な一人となった。

"Our dream has come true!"

うーん、ボビーよ、よく言ってくれた。「そのチームは一番です!」よりは遥かにコトの本質を表現するコロシ文句、名言じゃないの。よこを見ると、目をはらして、オイオイ泣いているファンだらけだ。

そうさ、ボビーが夢をくれ、みんなで夢を実現したんだよ!千葉都民とかなんとか言わないで、もっと千葉ロッテマリーンズを末永く熱狂的に応援しよう!そんなマーケット・メッセージが一貫して流れる今回の優勝イベントという「コトづくり」はよくマネジメントされていたように思える。

今月24日に開催される「千葉ロッテマリーンズかもめの会」は盛大に盛り上がるだろう。



姫路から加西へ

2005年11月19日 | よもやま話、雑談
このところ仕事関係で、姫路に来ることが多い。仕事の合間を縫うようにして長年、いつかは訪れたいと念じていた姫路城を訪れる。石垣の素朴さな配列の上に天守閣の白漆喰が見事なコントラストを創っている。

なるほど、ひなびた土の上に舞う白鷺といったところか。国宝であり、世界遺産でもある姫路城。

歴史認識

2005年07月15日 | よもやま話、雑談
文藝春秋8月号の「日中韓・靖国参拝大論争」が面白い。そこには根本的にかみ合わない議論がものの見事に展開されているからだ。そして歴史認識のあやうさ、きわどさを見事に浮き彫りにしているからだ。

事実(fact)に対して意味づけや解釈が与えられ、一つの認識(recognition)が立ち上がり、やがて複数の事実や認識が編集されてゆくと歴史観となる。だから、いきなり認識や歴史観という土俵で議論してもかみ合うことはなく、不毛な議論に終始する。

さて、始末が悪いのは逆に特定の認識、歴史観を土台にして事実を作ってしまうことだ。これを事実の捏造という。たとえば、東京裁判の当初、日中戦争の犠牲者は320万人と中国は発表した。それが570万人に増え、国民党から中華人民共和国に代わると2160万人と増えている。そして江沢民総書記の時代になると3500万人へ急増する。

そしてこのような数字が、故意にある特定の認識を導き、歴史観にまで繋がってゆくとき、事実をベースにした議論はできなくなってしまう。「日中韓・靖国参拝大論争」はそのような意味において、事実、認識、歴史観は個々に分離されているのではなく、特定の見方、構えよって、一体化されているということを示して余りある。

事実に意味や解釈を与え、認識し、やがて複数の事実や認識を構築して思想にまで高めてゆくのは言語のはたらきがあるがゆえだ。歴史認識議論には、引き裂かれた言語の世界が展開されている。