よしなごと徒然草: まつしたヒロのブログ 

自転車XアウトドアX健康法Xなど綴る雑談メモ by 松下博宣

異邦人の日本社会観察

2010年04月09日 | よもやま話、雑談
昨夜は旧友と、とくと語り合う。

彼はパキスタンの高校を卒業後、アメリカに渡ってCornellへやってきた。そこで僕らは友達になった。Electronic Engineeringで卒業後、オーストラリアに渡りTelecom Australiaではたらき、その後、日本へやってきて Deutsche Bank、Nikko CitigroupなどでFinance Technology and Managementのプロフェッショナルとして辣腕ぶりを発揮している。グローバルなキャリアを積み、奥さんはUKで教育を受けた日本人。

Riba(金利)をとることはイスラムの教えでは否定されているが、彼はリベラルなムスリム。クルアーンは英語で読み、結婚式は明治神宮で挙げた。

異邦人による日本社会の参与的観察には、『日本奥地紀行』のイザベラ・バードや『英国人写真家の見た明治日本』のハ-バ-ト・G・ポンティング を引くまでもなく、貴重な見解が多く含まれるのだ。

その彼の日本観察がとても面白かったのでメモ。

・日本は1990年代からほとんどなにも変わっていない。
・ひとりあたりGDPはどんどん落ちてきて、完全にピークアウトしているのに、大方の日本人はそれに気付いていない。あるいは、認めようとしない。
・日本人男性サラリーマンは教養ある会話ができない。
・年間自殺者3万人が10年以上の国の住人はハッピーとは思えない。
・用もないのに夜会社にだらだら残っているのは不思議としかいいようがない。
・日本にくる前は、日本女性は差別されているという先入観があったが、実は女性のほうが元気でクリエイティブ。
・家庭も持たない、地域との接触もなく、会社だけの人が多い。その会社が不況でギクシャクして結局、すがる絆がなくなっている人が増えている。
・年功序列が日本人のクリエイティビティを奪っている。

う~ん、なるほど。

・年寄りをリスペクトする、仲間を大事にする、街を綺麗に保つ、環境を安全に保つ、などのイスラムの教えが徹底されているのが日本。

イスラームの浸透が極端に低い日本ではあるが、なぜかイスラムの教えに沿って社会づくりをしてきたように見える、という観察は鋭い。イスラム神秘主義の話になったことは、相当酔もまわってきたのだが。Amin!の日本観察は実に面白い。

Janis Ianが唄い、語る

2010年02月19日 | よもやま話、雑談


昔「岸辺のアルバム」のファンだったある人から「この歌いいよ」と教えてもらったが、なるほど、心の深いところから紡ぎだすような詩とJanis Ianのはにかむような声がとてもあっていると思う。

How romantic to be whoring(淫乱になるのも素敵なことよ)Boring though it may be(退屈するかもしれないけれど)Who'll survive if you and I should fall? (あなたと私が地獄に堕ちたら、誰が救われるというの?)というあたりは、「ヨハネの黙示録」を匂わせながらも、それをそっと反駁して、ほのかに享楽的な生き方をくすぐる。1970年代後半のカリフォルニアの雰囲気がよく出ている。

当時、ハーバード出身の英語教授(この人はホモという噂が濃かった)から英語を習っていて、この歌の歌詞の意味を尋ねてみたところ、「反キリスト的だから共感するよ」との返事が返ってきた。なるほど。

時代は、若者の反乱が終息したころ。日本でも大学紛争を中心にさまざまな闘争が行われていた。「聖なる革命を待っている」というフレーズからは、革命に敗れ、夢をあきらめた者の悲哀も感じるが、やはり、根本になるのは反キリスト的リベラリズムだろう。

アシュケナジー(東欧ユダヤ)系の彼女は、男性カメラマンとストレートな結婚をしてその後離婚。2003年、同性愛者であることをカミングアウトして、長年のパートナーだった女性マネージャーと正式に「結婚」した。

そのJanis Ianが本を出版した時の彼女の半生の物語とSociety's Childについての想いなどを語っている。歌もさることながらパブリック・スピーチも上手だ。歌っても語っても直截な自己表現が彼女の持ち味だ。→Janis Ian Discusses her Autobiography 'Society's Child'


歌詞の訳はこのサイトから→Janis Ian Song to Soul Will You Dance

<以下貼り付け>

Someone is waiting over by the window
窓際に身を乗り出し、待っている人
Just beyond the stairwell someone's crying 
階段の踊り場で泣いている人
Drowning in the words of the Prophets that are written for the dead and the dying 
死者と瀕死者のために書かれた預言書の言葉に溺れて、
Someone's lying 
嘘をつこうとしている人
No one's buying 
誰も信じはしない

Someone is dying
死にかけている人
Panic in the streets can't get no release someone escaping 
街に満ちた恐怖から逃げられない
Waiting on a line for the holy revolution parading illusion 
聖なる革命が幻想をふりまくのを待ちながら、
Someone's using most amusing 
享楽にのめり込む人

Will you dance?
踊りましょう
Will you dance?
踊りましょうよ
Smell of caviar and roses
キャビアと薔薇の香りがするでしょ
Teach your children all the poses 
あなたの子どもたちに教えてあげて。見かけだけでも
 how familiar are we all... 
 私たちがどんなに仲良くしてるかを

Will you dance?
踊りましょう
Will you dance?
踊りましょうよ
Light fantastic in the morning
朝の光は幻のようにきれいよ
How romantic to be whoring 
みだらになるのも素敵なことよ
Boring though it may be
退屈するかもしれないけれど
Who'll survive if you and I should fall? 
あなたと私が死んだら、誰が生き延びるというの?

Someone is bleeding crimson in the night 
暗闇の中、深紅の血を流す人が、
Strangers, in the light a sudden meeting
光が当たり、通りすがりの人と突然出会うことだってある
Greeting one by one
一人一人と挨拶を交わしながら
 every life runs flashing before those dashing eyes 
 あなたの魅力的な目の前を、あらゆる人生が走り去るの
Will you dance?
踊りましょう
Will you dance?
踊りましょうよ
Take a chance on romance and a big surprise?
ロマンスや思いがけない運命を手に入れるのよ

<以上貼り付け>

年末の大掃除

2009年12月29日 | よもやま話、雑談
つきあい半分で始めたこのブログですが、なんでもかんでもゴチャマゼになってきたので、年末の大掃除じゃありませんが、↑のように整理整頓します。

2008~2009年のウェブまわりの大きな変化はfacebookやtwitterのベンチャー企業がソーシャルストリーム系のSNSのディフュージョンを本格化させたこと。

ストリームはWeb上の非常に細小な粒度の情報群をリアルタイムで世界中に伝搬させる技術群の上に立っています。この技術とクチコミ・マーケティング、覇権言語英語のアドバンテージ、ユーザの自己表現欲求,従来のネット覇権企業群のニーズを上手にミートさせ、ディフーズさせるのが、技術経営(MOT)的に見たソーシャルストリーム系のSNSベンチャーの戦略。

いずれにせよ、ユーザの立場に立てば、メディアを用途に応じて使い分けるようになるのがよいでしょう。

クリスマスの真実:凌奪された12月25日と日本教

2009年12月25日 | よもやま話、雑談
街には華やかなクリスマス・ツリーが乱立し、老いも若きもメリークリスマス・・・。コラムでキリスト教に対する私的見解をまとめたことがある。

一神教における愛と平和と皆殺し

キリスト教国家アメリカ中枢の黙示録的思考

ミトラ教の聖ミトラスの誕生日をキリスト教勢力が強奪してクリスマスに仕立て上げたことはあまり知られてはいない。一神教世界の習合は操作的かつ暴力的だった。

日本は、クリスマスを世俗的かつ、なしくずし的に換骨奪胎して商業主義に利用したり、享楽共有の記号に転換している。操作的だが、現世的で、かつ利用できるもは利用しようという多元・多層・多神的な日本の心象に納まっている。こうして12/24~25には、日本教キリスト派が顕現するのである。

まぁ、いいじゃない。1週間もすれば今度は、こぞって神社・仏閣に初詣。こうして日本教キリスト派に続いて、日本教仏教派、日本教神道派が忽然と顕現するのである。

日本教の共通点は?

「みんないっしょ」、「みんな仲間」、「ごちゃまぜ大好き」、「各宗教のいいとこどりに熱心」、「教義は日本語で暗黙的に共有される」、「オープンソース的」、「多元・多層・多神的」、「正典なし」、「人格的唯一神なし」、「人間が中心」。

・・・ということで、この一週間は毎年、刺激に満ちている。



facebook、いいね。

2009年12月22日 | よもやま話、雑談
Hiro MatsushitaCreate Your Badge


facebookは、2004年にハーバード大学の学生だったマーク・ザッカーバーグが創業。その後アイビーリーグにサービスを拡大。2006年には全米の高校生に開放し、2006年9月までには誰でも利用できるようになった。

アメリカの友人に勧められてはいってみたら、結局仲よくしていたKappa Alpha Societyのbrother連中がこぞってやっているではないか。ハンパなくみんな楽しんでいる。

多くの友人はphotoをバンバンアップしているので昔話から近況まで強烈な一覧性あり。

英語で世界をシノぐ方法(覇権言語ソフトパワーとのつきあい方)とまで力まなくてもいいが、facebookの世界は断然英語。




Ithacaの風景

2009年11月04日 | よもやま話、雑談


NY Ithacaのコーネル大学の秋の風景。




キャンパスの中に滝、湖、渓谷、森林がある。



というか自然美のuniversityのなかにキャンパスがある。



大学院時代の友人に会うと、キャンパスの話になる。

だいたい秋が好きという人が多い。

このあたりの秋は短い。

夏が終わって早い冬が来るまでの2週間。

短い季節だからこそ鮮明。

かくして、空間の美しさは記憶の奥底で共有されるのか。


フロー経験としての雑談に終始した一日

2009年07月30日 | よもやま話、雑談


大岡山で用を済ませてから東京工業大学マネジメント担当教授の遠藤悟と大岡山駅前のできたばかりの東工大蔵前会館にある精養軒で昼食。彼のもう一つのアイデンティティは世界を走るサイクリスト

実は遠藤悟(別名、インドを悟る)とは、学部学生時代に日本中はおろか、デリーからカトマンズまで悶絶しながら自転車で駆け抜けた仲間。当時は、お互いの数奇な人生経路の行く末を知る由もなく、ただただ汗をかいて自転車を駆けるのみの日々。その後、彼は学術的な方向性を活かし日本学術振興会へ。

そのような日々から○○年たった今、こうして専門的な話をしている自分たちを見るにつけ、人生は本当にどうなるか分からないものだ。「知の分水嶺を越える:米国における基礎研究政策に関する考察」などについて意見交換。

田町で日経BPの丸山さんとしばしコーヒーを飲みながら雑談。MOT系の話。

夕刻は春日駅からほど近い医学書院へ。この医学看護系専門出版社から本を出版させていただいたのは早稲田の先輩、林田秀治さんの御縁から。林田さんは定年を迎えたのちは農業への道を歩む。

スタッフの皆さんを交えてひとしきり打ち合わせをしてから、豪華会食。しばし雑談に花が咲く。集まった5人のうち、3人がインドを旅したことがあるというのも面白い。看護にまつわるサービス・イノベーション、出版動向や、それやこれや。

今日は一日中、誰かと雑談をしていたような感じ。流れるようなフロー、雑談ではあるが、雑談の節目節目にはけっこう大事な発見や、展望、未来に向けたビジョンがポコッと顔を出しリアリティが眼前に開ける。こういう瞬間がいい。だから雑談は楽しい。マイクロなフローが、ときめく空間をつくるのか。

ミトラ教とは?

2009年05月04日 | よもやま話、雑談

<牡牛を屠るミトラの図>

ミトラ(ミトラス)教についてメモ。

                 ***

・E・ルナンは言った「もしキリスト教が何らかの致命的疾患によってその成長過程で、その拡大を止められていたならば、世界はミトラス教化していたであろう」

・ローマに現れた時期はキリスト教もミトラ教もほぼ同時期。ネロはローマ帝国中枢部でミトラス教に接触していた。

・313年にコンスタンティヌス1世(306 - 337)がキリスト教を公認した時点(ミラノ勅令)で、ミトラ教は国教からはずれた。

・しかしその後、方向は一定しなかった。ギリシア哲学に傾倒し、教養ある賢帝だったユリアヌス帝(355 - 361)は、キリスト教ではなくミトラ教に帰依し、ミトラ教の復興に尽力した。

・その後グラティアヌス帝が382年に出した勅令でミトラ教を含むすべての密儀宗教は全面的に禁止された。ごたごたが続いたが、キリスト教メジャー化の方向づけがなされたと見ていいだろう。

追記注)382年までには、帝国の支配者の間で、キリスト教かミトラ教を選択するかの激論があったことだろう。当然、教義、信仰、正当性などの面でも議論があったろうが、帝国ガバナンスの上で、どの宗教が目的合理的かという現実的な議論があったのだろう。このあたりの記録がでてこればいいのだが・・・。

・ベルギーの宗教史学者フランツ・キュモン(Franz Cumont)の『ミトラの密儀』が1902年に、リバイス版が1913年に刊行され、これによってミトラ教の本格的な研究が始まった。

・その後は、あまり研究されていない。キリスト教世界のタブーのようなもの。

・ミトラ教が西方のローマ帝国へ伝搬し、キリスト教へ習合された。ただし、初期キリスト教にとっては、ミトラ教の存在は都合がよくなかったので、習合というよりは吸収合併の後、吸収先を消し込んだ。

・キリスト教勢力はミトラ教の儀式を「悪魔的な模倣」と呼んで非難、排斥。(本当のところは、悪魔的な模倣をしたのはキリスト教の方だったのだろう)

・キリスト教勢力の自らの出自たるミトラ教に対する隠滅工作、諜報諜略(インテリジェンス活動)があったのだろう。アンチ・キリストのイメージがミトラ教には纏わされている。

・井上文則(筑波大学)「古代ローマにおける宗教的多元性」簡略なレポート

・最近では、David Ulanseyが"THE ORIGINS OF THE MITHRAIC MYSTERIES"
(Oxford University Press, 1991)を著している。そのダイジェスト版

The ancient Roman religion known as the Mithraic mysteries has captivated the imaginations of scholars for generations. There are two reasons for this fascination. First, like the other ancient "mystery religions," such as the Eleusinian mysteries and the mysteries of Isis, Mithraism maintained strict secrecy about its teachings and practices, revealing them only to initiates. As a result, reconstructing the beliefs of the Mithraic devotees has posed an enormously intriguing challenge to scholarly ingenuity. Second, Mithraism arose in the Mediterranean world at exactly the same time as did Christianity, and thus the study of the cult holds the promise of shedding vital light on the cultural dynamics that led to the rise of Christianity.

・東方へも伝搬。大乗仏教へも習合して弥勒菩薩、弥勒如来となった。

・富永仲基の科学的な宗教教義の発展プロセス分析フレーム「加上説」を拡張すれば、

       西方:キリスト教←ミトラ教→東方:弥勒(大乗)など

というように習合していきながらも、結局、密儀宗教ミトラは世界宗教とならなかったプロセスが分析できるだろう。

ざっと以下のような伝搬プロセスか。

・前2000年以前:
 原始的なミトラ崇拝が誕生。
・前2000年~:  
 アレクサンダー王朝のもとで、ミトラ教はギリシア化する。
・前200年頃:  
 西方ミトラ教が生まれ、地中海世界全域に広がる。キリスト教が国教化されると抑圧されボゴミール派やカタリ派に変化。グノーシスにも継承。
・300年頃:   
 バビロニアから中央アジア、インドを経て大乗仏教へ習合。その後中国へ伝搬、弥勒教になる。
・500年~:   
 朝鮮半島を経て仏教や道教と習合して断片的に日本に伝搬。聖牛の供儀、伎楽(七位階の秘儀の一部)、占星術、弥勒教の教義などが持ち込まれる。
 沖縄では、ミルクとなる。

・キリスト教とユダヤ教の差異を説明する要素としてミトラ教の教義が初期キリスト教へ「加上」されたと解釈するとスンナリゆく部分が多々ある。

・たとえば幼神ミトラ(ミトラス)は12月25日に岩から生まれたという神話。これがキリスト教に採用(習合)され、キリスト誕生の日となる。岩窟のマリアとも符合。

・キリスト教がミトラ教から摂取したもの:秘密集会の開催、教団内の堅い紐帯、洗礼、堅信礼、日曜日の神聖視、厳格な道徳律、禁欲と純潔の重視、無欲と自戒、天と地獄の概念、歴史の始まりにあった大洪水、原初の啓示、霊魂の不滅説など。

ミトラ教天使七星協会なる団体のサイト。いろいろ説明あり。

・松岡正剛のマルタン・フェルマースレン『ミトラス教』についての解説

ヒロさんという人(別人!)のサイトには物語、説話の分析が多い。

習合(シンクレティズム)の磁場、京都。

2009年05月01日 | よもやま話、雑談
そうだ、京都行こう。

JR東海がかれこれ15年以上使っているキャッチコピーではないが、倉敷での仕事を終え、京都に向かった。

京都大学産官学連携センターのイノベーション・マネジメント・サイエンス研究部門の麻生川さんと落ち合い、仕事の話もそこそこによもやま花が咲く。

このところ宗教教義のイノベーションと伝搬を調べているので、そのあたりの話で熱くなる。サービスとしての宗教。そして宗教におけるサービス・イノベーションはれっきとした研究対象なのだ。

旧約聖書の創世記でheavenという単数形の表現をとるバージョンもあれば、複数形の場合もある。

学術的な正確さを誇るThe New Oxford Annotated Bibleでは、1.1節は:

"In the beginning when God created the heavens and the earth,..."となっており、果たしてheavensの"s"一文字の有無の違いで話が熱くなったのだった。



さて、太秦の広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像や秦氏については、連載記事にも書いた。

真言「オン マイトレーヤ ソワカ」のマイトレーヤ(弥勒)は、ミスラ、ミトラと語彙は同根。

ミトラ教のルーツは、古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にある。ミトラ神は契約神・戦神・太陽神などの多彩な顔を持ち、古くからペルシャ、西アジア、インド西北部に浸透していた。弥勒の故郷である。

ただし、キリスト教勢力からは、ミトラ教の存在は、臭いもの、触れたくないものだった。なぜなら、ミトラ教はキリスト教の1本の隠れたルーツをなすようなものだから。

ミトラ教は、紀元4世紀あたりまではキリスト教と併存していたが、その後、歴史の隅に追いやられた影の宗教みたいなものだ。

現在キリスト教のイノベーションと看做されている儀礼、例えば洗礼や聖餐などを生みだしたのは実はミトラ教なのである。ミトラ教には、キリスト教が備えている救済宗教としての神話も神学も密儀も存在する。

初代のキリスト教会は、ミトラ教を激しく弾圧のは同根のミトラを否定しなければ正統性が成立しなかったためだ。いうなれば歪んだ近親憎悪の感情。

ミトラは概して西アジアから見て東方へはシンクレティズム(習合)を経ながら足跡をとどめてきた。弥勒がひとつの残存形態なのである。こういう背景を押さえてみると、広隆寺弥勒菩薩半跏思惟像の微笑はなるほど、奥深い。

               ***

京都駅近くのレンタサイクルで自転車を借りる。3速で1日1000円。ランドナーほど機動力はないが、京都めぐりの脚は自転車に限る。

鴨川沿いに上って丸田町通りを西へ。北野天満宮参拝のあと、妙心寺上がるのアイズ・バイシクルへ寄って店主の土屋さんと雑談。



それから渡月橋へ。



旧嵯峨御所大覚寺門跡=大覚寺。

嵯峨天皇の離宮を寺とした後、鎌倉時代には亀山天皇や後宇多天皇がここで院政を行い嵯峨御所と呼ばれた。

南北朝時代、南朝運動の拠点としても知られる格式高い門跡寺院。

ハート・スートラ=「般若心経」の根本道場。

そこで、空海と嵯峨天皇の関係や、南朝興隆運動の史料を調べる。



隣接する大沢池は平安貴族の舟遊びや月見の地。

どの角度からも嵯峨野あたりの低山が借景となっており、絶妙な池。



丸太町通りを東へ走り、哲学の道へ。自転車を押して登って法然寺。

ああ、南無阿弥陀仏。

そこでまたちょっと調べもの。これはすぐに分かった。以下メモ。

              ***

法然(1133-1212)は浄土宗の開祖。もともとは比叡山で天台密教を修行していたが、浄土三部経(無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)を研究し、だれでも簡単に救済する方法はないのかと模索し、浄土宗による仏教イノベーション、仏教改革のアイディアを得る。

「南無阿弥陀仏」の念仏ならば文字が読めない農民、差別された人々でも唱えることができる。またどんな悪人でも念仏を唱えれば、往生できると説いた。

法然の仏教イノベーションの訴求力はすさまじく、農民、庶民、武士、貴族まで幅広く受け入れられた。しかし、叡山の既成勢力から迫害に会い、島流しになってしまった。面白いことに、法然の母親は秦氏系である。

さて、阿弥陀仏の出自。阿弥陀仏はAmitabha(無量光) Amitayus(無量寿)の音訳。

阿弥陀仏は、大乗仏教で登場したホトケで原始仏教とは無関係。その起源はゾロアスター教(拝火教)などのイラン系の信仰に由来する。大乗系のフィクションライターは、本当にクリエイティブな人々だ。カミサマをちょいと借用して、それ風に味付けして教化に活用し、後世にそっと残す。

光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神ズルワーンが無量寿如来の原型とされる。

西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるイラン地方、もしくは肥沃で繁栄した古代バビロニア地方が背景になっていると推定される。

なるほど、浄土宗は一神教に近い構造を持っているのである。ただし、浄土宗を篤く信仰する方々は、過去の習合(シンクレティズム)は一切知る由もないだろう。

『仏説阿弥陀経』は実は仏説ではなく、大乗部派が創作した物語である。そして、阿弥陀の本籍地は日本から見ても遥か西方のイラン地方よりもっと西の方。

教義、宗教思想、神話、信仰対象の取り入れや融合が大規模に起こり、二つあるいはそれ以上の宗教のあいだで、どちらの宗教とも付かない両方・複数の宗教の要素を併せ持った宗教が成立するような事態が習合(シンクレティズム)。

しかし、それぞれの宗教、宗派の当事者たちは、自らの宗教、宗派の正統性を主張したいので、自分たちに都合の悪い来歴は消し去ろうとするのだ。消し去ることをしなければ、無視したり黙殺したりは常套手段。

都合の悪い来歴にこそ、真実が横たわる。したがって、いいも悪いも、来歴の事実をインテリジェンスを駆使して見つけなければいけないのだ。宗教サービス・イノベーションの創発と伝搬を解くには、習合の分析を抜きではままならない。

              ***



三条京阪を経て、河原町へ。最後はイノダのコーヒー。560円はまあ、高いが、いろいろ収穫があったので、よしとする。