ばばちゃんのおっちゃんの日本語の先生への道

日本語の先生になろうと一念発起いたしました。

その154日本人の知らない日本語5

2018-03-27 21:30:21 | 6.私の感想・考え

日本人の知らない日本語5

 比較文化論は、私にとりましては非常に興味のある記事です。そして、その中でも、「方向が逆」というのは、もう、ほぼ私の常識になっています。例えば、「のこぎり」や「かんな」。「鍬」と「スコップ」、「日本刀」と「フェンシングの刀」(切り下ろすか、突くか)等々、その他、ドアの内開き、外開き、「大八車」と「手押し車」、ナイフで果物等の皮をむくとき引いて切るか、押して切るか、というように動作が全く逆です。そして、言葉においてもそういうものが見受けられます。例えば、韓国語の「ヨボセヨ(私を見なさい)」に対して、「もしもし(申す、申す)」や「ワッタ、カッタ(来たり、行ったり)」に対して「行ったり、来たり」という言葉が有ります。「イク!イク!」に対して「come!come!」という言葉も有るそうですが・・・・・・。

 はっきりした理由は分かりませんが身体的な特徴や、物事に対する感性の在り方が異なるからでしょうが、日本式になりなさいと言っても無理でしょうし、たとえそう思っても時間が掛かるでしょう。 

 「ばつが悪い」なんて例が出ていますが、作り話ならともかく、テキストにこんな言葉が載っているとしましたら、載せる方が悪いと思います。その前に、もっとやるべきことが、沢山あると考えます。 

 「カタカナ」については、早く習う方が良いと考えます。先ず、街の中の看板は、カタカナが非常に多いという現実が有ります。また仕事で日本語の必要な方は、仕事上、カタカナ語がどうしても必要になってきます。と言う訳で、どうせなら早いうちにその難関をクリアできれば、それだけ便利になります。またご自分の名前を書く場合もカタカナが有った方が便利でしょう。名前を書くことの必要から、先にカタカナを覚えさせる国も有るそうです。私にはそれが適切なやり方だと考えます。

 

 学習者とネイティブの会話のシチュエーションでは、多少のノウハウが必要になってきます。日本語学校では、段階を踏んで、文型を教えて行きますので、この順番を間違えますと、学習者に分かってもらえないということが起こります。しかし、そのことは、日本語教室の授業においても起こります。私には、頭ではそれが分かっておりますが、まだ、その順番が身に付いていませんので、なかなか上手く行かないのです。模擬授業を行いますと、その不具合が出てきて、すぐ、指摘を受けます。これは、実際の場面では、上手に探りを入れて、どの程度のレベルから入って行くは、見当をつけなければなりません。これが、直説法で、教える、すなわち、「日本語で日本語を教える」ためのノウハウなのだそうです。これは外国で技術指導を行う場合も似たようなことが起こります。レベルを下げ過ぎますと失礼に当たりますし、上げすぎますと、分かってもらえません。最初の出だしが非常に難しいです。

 

 また、更に、「漢語を使わず和語を使いなさい」との指摘が有りますが、授業においても、出来れば漢語を訓読みにして、易しい和語から入り、漢字が持つ元々の意味を紹介しつつ、進めて行ってはどうかと考えます。会話の理解もさることながら、難問の漢字へのアプローチを徐々に進めて行ってはどうかと考えます。例えば、書けなくても、読めるように。

 更に、「過度な敬語を使わない。」「文章は短く」とあります。私は、やはり、「日本語らしい日本語(≒長文)」を目指すよりは、実利を重んじて、「単純で、短い文章」を、出来るだけ沢山身に付けて、少しでも、早く意思の疎通ができるようになって欲しいと考えます。

 

 

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