「カタカナ英語」
有気音/無気音を講習で習って、何となく「カタカナ英語」とも関連が有るのではないかと、買ったままになっていた本を、読み始めました。この本の著者は、池谷裕二と言う若い脳科学者です。
なかなか面白い指摘がありました。日本語は、母音も子音も他の外国語に比べて少ないわけですが、その結果、何が起こるのかといいますと、同音異義語が多くなり、会話、話の途中で、文脈から適正な語句を瞬時に選び出さなければならないということです。脳の中では、非常に高度な処理が行われているようです。(さすが、脳科学者!!) 想像しながら聞く。則ち、「推理の言語」と言う訳です。
それに引き換え、英語等は、音がたくさんありますので、同音異義語が少なく、発音に対して語彙が決まってしまいますので、頭をつかうよりは、発声ないし耳の神経系の方が大切で、「発声技巧の言語」ではないかといっておられます。
またそこから、英語の会話には、彼の経験からしても、発音が大切で、文法は二の次でもいいのではないかということです。
その他、彼の指摘は、英語に長音はなく、日本人に長音として聞こえるのは英語のアクセントではないかということです。従って、我々が英語の中に長音があると感じているのは、聞き違い、勘違いに当たりそうです。長音のない母語の方に教えるのは、工夫が必要なようです。
また、急に会話が聞き取れるようになったという話がよくありますが、彼が実験したところでは、たとえ文中の30%の単語が聞き取れても、文の意味を推測できるケースは2割にも満たないそうで、それが、60%聞き取れますと、その確率は90%近くまで上昇するそうです。冠詞、前置詞は、弱く発音されますので聞き取りにくく、文法も適当で、大丈夫ということなので、会話に限って言いますと、細部まで完璧に聞こうとするよりも、豊かな会話の中身のほうが大切ではないかと彼は述べています。
従いまして、会話を主にするのなら、日本の英語の勉強方法は間違っているのではないか。原書を読んだり、翻訳したりする場合は、現在の教育方法は適切でしょうが・・・ということも考えられます。
有気音/無気音を講習で習って、何となく「カタカナ英語」とも関連が有るのではないかと、買ったままになっていた本を、読み始めました。この本の著者は、池谷裕二と言う若い脳科学者です。
なかなか面白い指摘がありました。日本語は、母音も子音も他の外国語に比べて少ないわけですが、その結果、何が起こるのかといいますと、同音異義語が多くなり、会話、話の途中で、文脈から適正な語句を瞬時に選び出さなければならないということです。脳の中では、非常に高度な処理が行われているようです。(さすが、脳科学者!!) 想像しながら聞く。則ち、「推理の言語」と言う訳です。
それに引き換え、英語等は、音がたくさんありますので、同音異義語が少なく、発音に対して語彙が決まってしまいますので、頭をつかうよりは、発声ないし耳の神経系の方が大切で、「発声技巧の言語」ではないかといっておられます。
またそこから、英語の会話には、彼の経験からしても、発音が大切で、文法は二の次でもいいのではないかということです。
その他、彼の指摘は、英語に長音はなく、日本人に長音として聞こえるのは英語のアクセントではないかということです。従って、我々が英語の中に長音があると感じているのは、聞き違い、勘違いに当たりそうです。長音のない母語の方に教えるのは、工夫が必要なようです。
また、急に会話が聞き取れるようになったという話がよくありますが、彼が実験したところでは、たとえ文中の30%の単語が聞き取れても、文の意味を推測できるケースは2割にも満たないそうで、それが、60%聞き取れますと、その確率は90%近くまで上昇するそうです。冠詞、前置詞は、弱く発音されますので聞き取りにくく、文法も適当で、大丈夫ということなので、会話に限って言いますと、細部まで完璧に聞こうとするよりも、豊かな会話の中身のほうが大切ではないかと彼は述べています。
従いまして、会話を主にするのなら、日本の英語の勉強方法は間違っているのではないか。原書を読んだり、翻訳したりする場合は、現在の教育方法は適切でしょうが・・・ということも考えられます。