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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

芭蕉座旗揚げ公演の感想

2009年07月13日 | 映画・音楽・舞台・美術などの評
7月11日(土)、
芭蕉座旗揚げ公演に行ってきました。

行く時、妙に渋滞がひどいと思ったら、なんとその日は前橋の七夕祭りでした。
中心部に近づくにしたがって車が動かなくなり、駐車場手前ですでに長い車列が見えたので、
急きょUターンして少し遠い駐車場に止めて、長い距離を歩いて会場に向かいました。
おかげで多少余裕をみて出たつもりだったのですが、開演ギリギリになってしまいました。

着くと早々に演奏がはじまり、わたしの心の準備は、まだ整っていませんでした。
なにせ芭蕉の「おくのほそ道」の世界を、語りの名手とメゾソプラノにピアノ伴奏といった組み合わせでやるというもの。
企画を知ったときから、大変興味深くも、いったいどんな風にまとめるのやら予想のつかないところがあっただけに、
早い時間に会場入り出来なかったことが悔やまれました。

早々にはじまった演奏の序盤の印象は、古屋和子さんの語りの力がとてもあるので、これは語りは語りだけで、
音楽は音楽だけで聞きたいという思いがしました。

ところがピアノの伴奏が入るにしたがって、その思いは次第に溶けて、作品の世界に徐々に入ることができました。
「その世界」とはいいながらも、曲は三人の作曲家によるものを交互につなげた構成。

どのような意図でこうしたのか真意はわかりませんが、
和の雰囲気、俳句の情景がとても分かりやすく納得できる箕作秋吉さんと清水修さんの曲調と、
いつも初めて聞くにもかかわらず安心してその高度な?(私にはそう聞こえる)構成力を魅せてくれる野澤美香さんの曲が交互に出ることが、
有象無象の耳が立っている会場に、ちょうど良い緊張感をもたらしてくれたように思えます。

何度となく言っていることですが、芭蕉など俳句の和の世界を表現するには、おたまじゃくしの数を極力少なくすることが大事だと思っているのですが、
今回は、総じて音符の数が多すぎるとは思いませんでした。(理想の「少ない」というほどではありませんでしたが)

でも三人の作曲家を並べてくれたおかげで、私には野澤美香さんの力を改めて知ることができたような気もします。
箕作、清水作品は、芭蕉の世界を描くとしたら、当然こうなるだろうと納得させてくれる見事な曲に仕上がっているのに対して
野澤作品は、俳句の世界をきちんとふまえていながらも、音楽を組み立てている面白さのようなものをいつも感じさせてくれるところに特徴があることを再確認できたからです。
伴奏、背景でありながらも、しっかりとした創作の痕をいつも楽しませてくれるのです。
かといって聞いている側は、技巧に走ったものを聞かされているようなイメージは出てこない。
ご当人は、書かされる苦しみのようなことを言っていましたが、実にいい仕事してると思います。

はじめて野澤さんにお会いしたときに、どんな作曲家に影響を受けているのか聞いたような気がしますが、それは、たぶん私の知らない名前を言われたので覚えていないのだと思う。
素人の耳で言わせてもらうと、いつもシェーンベルクやバルトークを聞いた時、現代音楽だからといってそういうのじゃなくてもう少し自然なところがどうして出来ないんだと思ったところが
野澤さんの作品は、いつも出来ているのです。

こうした力のある野澤さんを迎えていることから、この芭蕉座に対する期待は当然高まります。ただの芭蕉ファンによる芭蕉を愛でるだけの企画から、しっかりと」した現代の創作の領域に踏み込んだ企画としての価値が高まるのを感じるからです。

ただ、概ねねらい通りの構成は出来ていたものと思われますが、三者の異質なサウンドがやはり近すぎて、おそらく広いステージで三者の距離が離れていれば、もっと完成度の高いものに感じられたのではないかと思いました。

古屋さんの語りは、十分存在感もあるので舞台袖あたりにいても好さそう。
でも今、振り返ると、古屋さんの語りは、ちょっと上手すぎるのかもしれない。
磨き上げたNHKアナウンサーのような朗読表現に、琵琶の弾き語りの時のようなさびのある味わいが、もう少し欲しかったような気もする。

その点、野澤さんの曲には、ちゃんと味もついていた。

これだけ幅のある作品と、難しそうな山本さんの間を取り持って弾きこなしているピアノの中島章恵さんて、なんてすごい人なんだろう。
きっとピアノだけでなく人間の出来た方なんだろうなと想像がつく。

そして山本掌さんの歌。
これまで意欲的な創作を積み重ねてきて、前回の公演のときもいよいよ山本さんの道とスタイルが確立しだしたのを感じましたが、
今回はちょっと過去の階段を着実に上がってきたような前進が感じられるような雰囲気にはちょっと欠け、
芭蕉座全体の企画プロデュースに徹することで、歌そのものの磨きあげが少し足りなかったようにも聞こえました。

それは私が聞く回数を重ねたことで、こちらの要求が勝手に上がってきてしまったことによるのかもしれませんが、
独特の声を活かすところまで曲を歌いこんでいないような印象をちょっと受けました。
いや、あれは会場の音響のせいで私が勝手にそう感じてしまったのかもしれません。

といっても、今回はとても困難な事情をかかえての企画の断行であったことを思えば、
公演にこぎつけることができたことだけでも良しとするべきかもしれません。

でも、くどいようですが組長!やっぱりピアニシモですよ、鍵は。
極端な場合、ピアニシモを強調するところは、「歌う」ではなく「語る」になってでも、
ピアニシモを活かした表現をしてもらいたいと思うのです。

どうしてもそれが難しいというのならば、いっそ古屋さんに弟子入りして、
語り中心のなかに僅かな歌を挿入するくらいまで路線変更してみてはどうだろうか。
まあこれは外野素人の戯言ですが、
ともかくも旗揚げにこぎつけて、この頼もしいメンバーの力が立証された今回の公演はすばらしかった。
この道でこそ、と腹を決めてる山本さんの思いは十分伝わってくるものがあります。

次回がまた楽しみです。
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