かみつけ岩坊の数寄、隙き、大好き

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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

雇用問題の背後にあるより大きな課題

2009年11月27日 | 無償の労働、贈与とお金
数日前、この1年で失業者の数が100万人近く増えたらしいという記事を見ました。
政府に対して新たな雇用対策を求める声も大きくなっています。
それは当然のことですが、わたしがなんとなく恐ろしく感じてしまうのは、この問題の背後にあるもっと大きい課題が、ほとんど問題にされていないことです。

その第一は、過去の雇用対策が打たれた時代とは異なり、今の日本や世界の先進国がかかえている問題は、ここ1年を凌げばなんとかなるといったような環境ではないということです。

まだまだ当分の間、世界の市場は縮小し続ける構造に変わりはなく、唯一の頼みは中国、インドなどの新興国市場ということになっています。

厳しい雇用環境が当分続くことが予想される時期に、急場しのぎだけの雇用対策(それだけでも必要なほどひっ迫した現実はある)だけでは、十分な効果は期待できないはずです。


そして第二の問題は、先のことから必然的に起きているもうひとつの現実ですが、実際の失業者の後ろに、膨大な失業予備軍がひかえているということです。
この失業予備軍とは、明日、解雇されるかもしれない人たちだけでなく、業績の先ゆき不安をかかえている企業の大半の従業員が、多かれ少なかれ、明日は我が身とばかりに将来への不安を感じた同じような環境におかれているということです。

これは個人が今の仕事のどのように考えているか、心理的なアンケートでもとらないとその実態は表に出てこないものです。
しかし、実際の失業者の数倍どころではない数の人びとが間違いなく同様の心理状態にあるといえます。

これらの問題を見た時に、今、社会で求められていることは、失業者救済が緊急の課題であることに異論はないのですが、それだけでなく、既存企業の事業の活性化こそが根本で求められているのだと思います。

それを雇用の問題から捉えなおせば、決して雇用創出を第一に考えた現代版ニューディール政策型の景気刺激策ではなく、既存企業の経営革新や企業内起業、企業内創業といったタイプの事業支援であるべきたと思うのです。

雇用創出というと、どうしてもベンチャーなど新規事業への支援ばかりが話題になりますが、労働力総人口から問題を捉えなおすという意味と、労働力需要そのものの活性化から考えるならば、既存企業の経営革新こそが、もっと中心課題に据えられなければならないのではないでしょうか。

現実には、個々の企業の経営革新に政治的な援助を施すことは、税制やごく一部の補助金以外は難しいことかもしれません。
しかし、経済の活性化を考えるならば、むしろ個々の事業のイノベーションとは、最も本質的な課題であるはずです。
政治力だけに頼らず、あらゆる手立てで行われるべきものです。

これは、私がずっとこだわっているテーマのひとつでもあるのですが、
起業力・創業力・イノベーションの時代
でも書いていますが、より根本的には、会社や政治の問題として捉える前に、
雇用者、被雇用者にかかわりなく、働く者すべてにとって、働いて生きていくということは
「今、自分の直面した問題に立ち向かい、それを解決していくこと」
という大原則に多くの人が気づき、もっとそれに撤することなのではないかと感じています。

労働条件などの問題も決して無視できないのは確かですが、そうした問題も含めて、それに直面している自分達自身が解決していく姿勢こそ、今取り戻さなければならないと思います。

経営不振、売上不振に陥っているそれぞれの事業、職場の問題を
そこにいるあなたが解決することなくして、社会一般の景気回復はありえないのだということです。

もちろんひとり個人の力では太刀打ち出来ない問題が多いのは、どこも同じでしょう。
経営者の姿勢が変わらない限り、どうしようもないことも多いでしょう。
親会社など、上の企業の影響下でどうすることもできない現実もあると思います。

しかし、問題を解決するというのは、
まさにそういう現状から脱却する方法を見つけ出すことに他ならないのです。

業績を伸ばしている企業とは、どこもこうした困難をなんらかのかたちで克服した会社のことです。
個人の場合であっても同じです。
こうした問題を、景気のせい、業界のせい、社長のせい、部下のせいにしている限りは、たとえ新たな職にありつけたとしても、その人はまた解雇の不安から逃れることのできない職場にしかいられないのです。

これは決して、能力のある人にしか出来ないというようなことではありません。
人が働いて食べていく限り、社会で生きていく限り、誰もが身につけなければならないことであると同時に、本来、生きた感性があれば誰もが持っているはずの能力です。

たしかに、それは簡単なことではないかもしれません。
しかし、そう難しいことでもないものだと思います。

自分が食っていけるかどうかの大事な問題のために、
1日のなかで1、2時間を、ルーチンワーク以外の問題解決のための時間に振りあてるだけで、かなり多くの問題は、前進もしくは解決することは出来るのです。

毎日のなかに15分から30分の現状変革を目的としたミーティングを続けるだけでも、流れは変えられるのです。

もし、それが難しいというのならば、
それは仕事が忙しくて経営の根本問題に取り組む暇がないと言っているのと同じではないでしょうか。


雇用対策でも、景気刺激策でもなんでもやっていただきたいのですが、
ひとりひとりが、まず自分の直面した問題から逃げずに立ち向かう姿勢というものを、今、働いている人、ひとりひとりが取り戻すことこそ、景気・雇用問題解決の王道であると思います。

そもそも、その会社が直面している難局を乗り越える力無くして、この厳しい時代を生き抜く競争力のある企業にはなり得ません。

今、働いている労働者や経営者が直面している課題から逃げることなく、立ち向かわずに、何か他の良い仕事にありつけることはありません。

というと、どうしても意識の問題になってしまいますが、もし、政策的にこれらの問題を推進するものを何か考えるとすれば、文化・教養や知識を身につける学校ではなく、働いている人びとが生きて食べていくための学問・智慧を身につける学校を、今こそつくるべきだと思います。
本来の学校とは、そういうものであったはずです。
また本来の学問も、そういうものであったはずです。
もっとも、それを考えるならば、地域の学校よりも先に、それぞれの企業・事業体のなかで行われるべき問題ですが、かといってこれは決して「実学」に偏った産学体制を目指すものでもありません。

あくまでも、自分自身の直面した問題に立ち向かい解決する力を身につけるということです。


ワクワクする仕事に不況はありません。

ワクワクする仕事は、どんなに働いても過労死もありません。

そうしたワクワクする仕事とは、目の前の困難を自分たちの力で解決していく醍醐味のことです。


もちろん、それでもどうすることも出来ないこともあります。
しかし、この姿勢を持っていれば、次へ次へとつながる手がかりは、
必ずつかめるのではないでしょうか。

このことにさえ気づけば、
何も問題はないのだと
私は勝手に思っています。


ま、
これはノーテンキ楽観主義者の独り言です。。。。
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