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 「Hoshino Parsons Project」のブログ

お墓参りに行く前に、ご先祖様の正確な渋滞情報をお届けします

2018年08月10日 | 言問う草木、花や何 〜自然・生命の再生産〜

私の妻は、お墓まいりや先祖の供養などをとても大事にしています。
といっても、何らかの宗派的なしきたりにこだわっているわけではありません。 
ずっとそういうことを大切にする習慣が身についているということです。 

そんなこともあり、妻とはよく信仰のあり方や供養の仕方などについて話すことが季節を問わず多いものです。
といっても、たいていはそうしたことにルーズな私への説教なのですが(笑) 

日ごろ、そうした会話が多いおかげで以前気づいたことをひとつ。

 

小さい頃から持っていたイメージなのですが、このお盆の季節は、これまで亡くなった先祖がみんな帰ってくるわけですから、お墓から家までの道のりは、ぞろぞろ、ぞろぞろ相当な大渋滞になっているのだろうと。
それは、きっと想像もつかないほどのたくさんの人たちであふれているのだろうと。 

ずっとそう思っていました。 
そう思っている人は、私に限らずきっと多いのではないでしょうか。 

ところが、人類の歴史、あるいは日本の歴史を冷静に見ると、
驚異的な人口爆発が起きている現代では、

これまでに亡くなった全ての人間の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人の総数の方がずっと多いのだということに気づくのです。

この現実、想像できますか? 

 

少し冷静になれば、下のような図はイメージできるかと思います。

 

歴史人口学の鬼頭宏が整理した日本の人口の超長期推移を整理したグラフ

 

確かに、明治以降の人口爆発がすごいことはわかります。

しかし、人類の長い歴史は、そんなものではありません。

 

 国連人口基金東京事務所ホームページより

 

十数万年ほどの人類の歴史の中でも、ここほんの1世紀ほどの間に、20億から70億に爆発してしまっているのです。

もう少し詳しく数字を見ると、

1700年には、世界で約7億人が暮らしていました。

1800年には、人口は9億5000万人になり、

1900年までにその数字はほぼ倍増して16億になりました。

そして2000年には、人口はその4倍の60億に増大。

今では間も無く70億に達しようとしています。

 

桁違いの増加数とこの図をみれば、これまでの人類の歴史のすべてのご先祖様の総数よりも、
現代のこの地上に生きている人類の総数の方が多いということがイメージでもよくわかるかと思います。

 

つまり、別の表現では、
もし今生きている世界のすべての人びとが全員、真面目にお墓と家の間に並んだとしたら、
ご先祖さまたちは、自分たちの列に比べてあまりにも迎えてくれる生きている人間の方が多いことにびっくりしているわけです。 

にわかには信じがたいことかもしれませんが、これはとても大事なことと思います。

 

人類はずっと長い歴史の間、民族を問わず、先祖を敬い子孫の繁栄を願ってきました。

もしかしたら現代人の多くは、この紛れもない歴史ですら、民俗学や文化人類学でも学ばない限り知ることもなく、歴史資産を受け継いでいくことよりも、今日の現金をより多く稼ぐことこそが大事だと思っているのかもしれません。

たぶん、多くのご先祖さまがそんな現代人の姿を見て嘆いていることでしょう。

俺たちが願っていた子孫の繁栄とは、こんな世界だったのか!と。 

 

ところが、どんなにご先祖さまたちが嘆いても、ご先祖さまの総数と現在生きている人類の総数が、もし多数決をしたならば彼らご先祖さまたちは我われには勝てないのです。

つまり、地球に今いる人類は、それほど大きな決定権を持って今を生きているわけです。

これまでの長い歴史の間ずっと続けてきたこと、先祖を敬い子孫の繁栄を願うことを忘れ、無視して現代人の勝手な判断だけで、どちらの方向にでも決めてしまうほどの「決定権」を持ってしまっているのです。

もっとも、ご先祖さまと現代人が何か意見の違いがあったとしても、実際にはご先祖さまはただ指を加えて草葉の影で黙っていることしかできないでしょうが。 

確かにご先祖さまは、何も言わないでしょう。
もし何かを言ってくれたとしても、多数決では、いま生きている人間には太刀打ちできないでしょう。

何千年、何万年と岩をどかし、切り株を掘り起こし、代々培ってきたものがどれほどあろうが、
現代に生きる私たちには、瞬く間にブルドーザーでひっくり返してしまう力があります。それどころか、指をぱっちんと弾く瞬間に、世界中を変えてしまうことさえできてしまう時代です。 

だからこそ、いま生きている私たちの判断すること、決定することにはとてつもなく「大きな責任」があるのだと思うのです。 

十数万年に及んで受け継がれてきた歴史の分岐点で、大事な「決定権」がとてつもなく大きな力を持って、今生きている私たちの手に委ねられているのだと。 

それは、人類全員で協議や合意を得ることなくても、一部の人々の行動だけで、長い歴史を簡単にひっくり返してしまうほどの力を持っているということです。

 

 

このお墓まいりの時期に、そんな風に太刀打ちできない少数派に成り下がってしまいながらも、

じっと草葉の影で黙って指をくわえて私たちを見守っているご先祖さまのことを、

我われは、もう少し気遣ってやりたいものだと思いました。 

 

 

 

 


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