安全保障関連法が19日未明、参院本会議で自民、公明両党などの賛成多数で可決、成立した。この日も主婦や学生らが国会前だけでなく全国で法案反対のデモを行った。
日本の安倍政権は民意を無視して、この重要法を成立させたことだけは事実のようだ。首相はこの法案を取り下げ、継続審議にして、引き続き安全保障について国民と膝詰で討議してほしかった。国民の理解を深めるために、法案の趣旨をもっと分かり易く説明すべきだった。時が首相に味方するまで、粘り強く国民に語りかける必要があった。
8月末の日本経済新聞の世論調査では、集団的自衛権の行使、安保法案を今国会で成立させる政府の方針のいずれも賛成が27%で、反対は倍の55%に上った。
野党が牛歩戦術で抵抗した1992年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法の際も193時間で、今回は国会に記録が残る戦後の安保関連の法案審議としては最長だという。審議時間は衆参両院あわせて200時間を超えた。しかし審議の中味は時間の長さほど濃くはなかった。
2015年6月4日に行われた衆議院憲法審査会の参考人質疑で、与党自民党・公明党、次世代の党が推薦した早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男教授を含む出席した3人の学識経験者全員がいずれも安全保障関連法案について「憲法違反に当たる」という認識を示した。
この発言以来、本来討議しなければならない安全保障問題とこの法案の整合性を論じるよりも、合憲か違憲かで与野党が激しい論戦を展開した。
このようなピンとはずれの議論が衆参両院で展開された大きな要因のひとつは、安倍首相が時を無視し、焦って安保関連法案の成立を急いだことにあると思う。首相の念頭には、急速に軍事力を増大させている中国があったことは疑いない。この法案を国会に提出する前の4月29日、安倍首相が米議会の演説で「夏までに成就させる」と宣言したことにも彼の焦りを感じた。
この焦りが議会制民主主義の手続きを事実上無視した。安倍首相は審議の最終盤で「法案にまだ支持が広がっていないのは事実だ」と述べた。そのように感じていても「必要な法律なのだから採決は当然だ」との確信があったからだろう。「時が経つうちに間違いなく理解は広がっていく」とも予言してみせた。
この発言は「黙って俺についてこい」と言っているに等しく、十分な説明と説得力、裏付けとなる根拠に欠けていることを白日にさらした。安保政策を大転換するなら、それだけの危機がいま迫っていると分かりやすく説明しなくてはいけなかった。反対意見を十分に聞かなければならなかった。そのためには時間が必要だ。3~4年かけて、議論を深めることが肝要だった。
安保関連法が憲法違反の疑いが強いと筆者も思う。首相は、遠回りをしてでも憲法改正をしてからこの法案を提出。そして、日本を取り巻く安保環境は、大きく変化していると説明しなければならなかった。
また安倍首相は、成立した安全保障関連法が「日本の存立危機」にだけ対処する法律だと明示すべきであった。自衛隊が「日本の存立危機」とまったくかけ離れた米国の世界戦略の片棒を担ぎかねる危険があるということだ。日本の国益に関係のない紛争地域に米国の意向で派兵される可能性があるということだ。
あくまで「日本の存立危機」に対処する法律でなければならないが、その点がもう一つ明確ではない。識者の幾人かは「この法律では日本政府は米国の自衛隊派遣要請を断れない」と述べている。筆者もそう思う。
これでは首相がいくら「日本の民主主義体制」「集団的自衛権は日本の安全をより強国する」と言っても、首相自身が十分な議論を封じ、前ばかり見て突っ走り、民主主義制度の根幹をなすディベートを拒絶している印象を強く与えている。さらに自らの軍備拡張と国際法を無視している中国の共産党政府に格好のつけいる隙を与えたことになった。
国会の「自民党1強」状態は、衆院選で過去最低の55・66%という低投票率と、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区の特性によるところが大きい。12年の衆院選で、自民党の得票率は48%と半数以下だったが、議席占有率は76%に及んだ。自民党の総得票数は、09年の衆院選から3回続けて減っている。
若者や主婦らノンポリ大衆の政治の無関心や野党の体たらくに助けられた、といってもいい。安保法案をめぐる若者のデモ、特にその先頭に立ったSEALDs(シールズ)との関係を強め、選挙戦略の一環にしようとする野党民主党の体たらくは目に余る。独立心を持ち、現実に沿った政策を立案してこなかった民主党の責任も大きい。
また、安保法の成立に賛意を表明している産経新聞の有元隆志・政治部長が「デモ参加者たちが民意を代表しているのではない」「目を覆いたくなるような議会の状況である。これが『良識の府』『再考の府』といわれてきた参院であろうか。とても子供たちには見せられない光景だ」と述べている。
産経の別の記事では「(安保関連法案の反対)集会を主催する(した)護憲団体の1つ『戦争をさせない1000人委員会』の男性は『安倍政権はファシストだ。身近に戦争とファシズムが迫っている』」と紹介している。
産経のこの一連の記事自体を読んで、「こまったことだ」と感想を抱いても、この一連の記事を出してくる意図に一抹のうさん臭さを感じる。これは議論ではなく、相手を貶め、この法律の賛成に肩入れする意図があるように思う。これでは民主主義の議論にはならない。
同じことが安保関連法反対派の発言にも言えるのではないのか。「安倍政権はファシストだ」という前に、冷静に疑問点を相手にぶつけて議論を深めていくべきだ。
安保関連法は成立したが、この法をこれからどのように扱うかは国民次第だ。修正するにも廃案するにも今後の日本の有権者の政治意識と総選挙への参加意識、異見の持ち主への中傷ではなく、ディベート力が試されると思う。
日本の安倍政権は民意を無視して、この重要法を成立させたことだけは事実のようだ。首相はこの法案を取り下げ、継続審議にして、引き続き安全保障について国民と膝詰で討議してほしかった。国民の理解を深めるために、法案の趣旨をもっと分かり易く説明すべきだった。時が首相に味方するまで、粘り強く国民に語りかける必要があった。
8月末の日本経済新聞の世論調査では、集団的自衛権の行使、安保法案を今国会で成立させる政府の方針のいずれも賛成が27%で、反対は倍の55%に上った。
野党が牛歩戦術で抵抗した1992年成立の国連平和維持活動(PKO)協力法の際も193時間で、今回は国会に記録が残る戦後の安保関連の法案審議としては最長だという。審議時間は衆参両院あわせて200時間を超えた。しかし審議の中味は時間の長さほど濃くはなかった。
2015年6月4日に行われた衆議院憲法審査会の参考人質疑で、与党自民党・公明党、次世代の党が推薦した早稲田大学法学学術院教授の長谷部恭男教授を含む出席した3人の学識経験者全員がいずれも安全保障関連法案について「憲法違反に当たる」という認識を示した。
この発言以来、本来討議しなければならない安全保障問題とこの法案の整合性を論じるよりも、合憲か違憲かで与野党が激しい論戦を展開した。
このようなピンとはずれの議論が衆参両院で展開された大きな要因のひとつは、安倍首相が時を無視し、焦って安保関連法案の成立を急いだことにあると思う。首相の念頭には、急速に軍事力を増大させている中国があったことは疑いない。この法案を国会に提出する前の4月29日、安倍首相が米議会の演説で「夏までに成就させる」と宣言したことにも彼の焦りを感じた。
この焦りが議会制民主主義の手続きを事実上無視した。安倍首相は審議の最終盤で「法案にまだ支持が広がっていないのは事実だ」と述べた。そのように感じていても「必要な法律なのだから採決は当然だ」との確信があったからだろう。「時が経つうちに間違いなく理解は広がっていく」とも予言してみせた。
この発言は「黙って俺についてこい」と言っているに等しく、十分な説明と説得力、裏付けとなる根拠に欠けていることを白日にさらした。安保政策を大転換するなら、それだけの危機がいま迫っていると分かりやすく説明しなくてはいけなかった。反対意見を十分に聞かなければならなかった。そのためには時間が必要だ。3~4年かけて、議論を深めることが肝要だった。
安保関連法が憲法違反の疑いが強いと筆者も思う。首相は、遠回りをしてでも憲法改正をしてからこの法案を提出。そして、日本を取り巻く安保環境は、大きく変化していると説明しなければならなかった。
また安倍首相は、成立した安全保障関連法が「日本の存立危機」にだけ対処する法律だと明示すべきであった。自衛隊が「日本の存立危機」とまったくかけ離れた米国の世界戦略の片棒を担ぎかねる危険があるということだ。日本の国益に関係のない紛争地域に米国の意向で派兵される可能性があるということだ。
あくまで「日本の存立危機」に対処する法律でなければならないが、その点がもう一つ明確ではない。識者の幾人かは「この法律では日本政府は米国の自衛隊派遣要請を断れない」と述べている。筆者もそう思う。
これでは首相がいくら「日本の民主主義体制」「集団的自衛権は日本の安全をより強国する」と言っても、首相自身が十分な議論を封じ、前ばかり見て突っ走り、民主主義制度の根幹をなすディベートを拒絶している印象を強く与えている。さらに自らの軍備拡張と国際法を無視している中国の共産党政府に格好のつけいる隙を与えたことになった。
国会の「自民党1強」状態は、衆院選で過去最低の55・66%という低投票率と、得票率に比べて議席占有率が高くなる小選挙区の特性によるところが大きい。12年の衆院選で、自民党の得票率は48%と半数以下だったが、議席占有率は76%に及んだ。自民党の総得票数は、09年の衆院選から3回続けて減っている。
若者や主婦らノンポリ大衆の政治の無関心や野党の体たらくに助けられた、といってもいい。安保法案をめぐる若者のデモ、特にその先頭に立ったSEALDs(シールズ)との関係を強め、選挙戦略の一環にしようとする野党民主党の体たらくは目に余る。独立心を持ち、現実に沿った政策を立案してこなかった民主党の責任も大きい。
また、安保法の成立に賛意を表明している産経新聞の有元隆志・政治部長が「デモ参加者たちが民意を代表しているのではない」「目を覆いたくなるような議会の状況である。これが『良識の府』『再考の府』といわれてきた参院であろうか。とても子供たちには見せられない光景だ」と述べている。
産経の別の記事では「(安保関連法案の反対)集会を主催する(した)護憲団体の1つ『戦争をさせない1000人委員会』の男性は『安倍政権はファシストだ。身近に戦争とファシズムが迫っている』」と紹介している。
産経のこの一連の記事自体を読んで、「こまったことだ」と感想を抱いても、この一連の記事を出してくる意図に一抹のうさん臭さを感じる。これは議論ではなく、相手を貶め、この法律の賛成に肩入れする意図があるように思う。これでは民主主義の議論にはならない。
同じことが安保関連法反対派の発言にも言えるのではないのか。「安倍政権はファシストだ」という前に、冷静に疑問点を相手にぶつけて議論を深めていくべきだ。
安保関連法は成立したが、この法をこれからどのように扱うかは国民次第だ。修正するにも廃案するにも今後の日本の有権者の政治意識と総選挙への参加意識、異見の持ち主への中傷ではなく、ディベート力が試されると思う。