来週の金曜日に東京五輪が始まる。菅首相が言う「安全、安心」の五輪とほど遠い。なぜ「安全・安心」ではないのか?それはこの4日間、東京での新規コロナ感染者数が1000人を超え、コロナパンデミックが拡大しているからだ。
でもそれはうわべだけのことだ。この話の核心は、政府・与党が戦略を立てず、小手先だけの対処に終始してきたからだ。さらに悪いことには、政権能力のない野党がいることだ。
小手先だけの対処とは何か。コロナウイルス感染症が拡大すれば、緊急事態宣言を発出し、縮小すれば、それを解除する。その繰り返しだけだった。そして緊急事態宣言を発出するたびに、まるでコロナ拡大の元凶が飲食店であるかのように、飲食店に「酒の提供の自粛を要請する」ことだけの戦術だった。
コロナワクチンが手には入ったら入ったで、まるでコロナワクチンを接種すれば、コロナ感染症は解決するかのように盲信して、それに突っ走る。それが政府のやり方だ。私は菅義偉首相だけを責めない。安倍晋三前総理のほうが重罪のように思える。昨年2月にコロナパンデミックの兆候があったとき、「流行が起らなくても(実際に起った)、PCR検査の充実、医療体制の充実、この国の医療の弱点である民間医師の協力体制を必死になって構築すべきだった。PCRで感染者と非感染者を分けて、感染者を徹底的に隔離する政策をとるべきだった。
昨年2月にはPCR検査体制はなかった。しかし政府が必死になって、半年なりの時間をへれば、構築できたはずだ。しかし、そうした節がなかった。時の変化に任せてPCR検査体制を作り上げてきただけだ。それは平時の動きでしかなかった。戦時の動きではなかった。
政府と野党は、日本人の弱点をさらけ出してきた。いつも楽観的に将来を見ている。最悪を想定して対策を立てず、いつも希望的観測だった。別の言い方をすれば「あまい想定」だった。太平洋戦争前夜に日本の軍部指導者が対米国戦に描いた青写真と同じだ。日本の軍部指導者は希望的観測に基づいてハワイ・真珠湾を奇襲した。
間もなく、東京五輪が開催される。まさに希望的観測に基づいて開催されると考えても過言ではない。五輪が終わったあと、コロナウイルスが猛威を振るい、楽観的で脳天気な政府と国民が塗炭の苦しみに陥らないことを願うばかりだ。IOCのバッハ会長は五輪スポンサーからの金を抱えて日本を去って行くだろう。彼にとって、それが目的なのだから、東京五輪は成功とのたまうだろう。
この厳しい状況下で、与野党の政治家は本当に国と民を思っているのだろうか。与党自民党の衆議院議員は自分のことで精一杯だ。来たるべき総選挙にいかに落選せず食い扶持を確保するかということで頭が一杯のようだ。新聞によれば、「浮き足立つ与党」だという。「菅では戦えない」と叫び始めているという。苦し紛れに「経済対策を打ち出せ」と叫んでいるという。要するのコロナ対策は二の次のようだ。
一方、政権能力のない立憲民主党などの野党は、与党の失策と支持率低下に色めきたっている。政権を奪取する好機だ、と枝野・立憲民主党党首は触れ回っているという。野党も国民の運命は二の次なのだ。この政党も戦略なき行き当たりばったりの政党だといってもよいだろう。
この国はどうなるのか。この国と、そこで暮らす民の将来の運命を考えると背筋が寒くなる。コロナ対策でこのお粗末さだ。中国共産党の「魔の手」が台湾に伸びている。中国が台湾を武力で統一しようと決意して台湾を攻撃すれば、日本人が好むと好まざるとに関わらず、日本人は存亡の危機に直面する。いつかはわからないが、その時が来れば、避けて通れない。そのとき、今のような無能な政治家が、コロナ以上の難局に立ち向かえるのか。そうは思わない。私は70歳を過ぎ、余命いくばくもないのに、日本の悲惨な姿を見なければならないのか。暗澹たる気持ちになる。
でもそれはうわべだけのことだ。この話の核心は、政府・与党が戦略を立てず、小手先だけの対処に終始してきたからだ。さらに悪いことには、政権能力のない野党がいることだ。
小手先だけの対処とは何か。コロナウイルス感染症が拡大すれば、緊急事態宣言を発出し、縮小すれば、それを解除する。その繰り返しだけだった。そして緊急事態宣言を発出するたびに、まるでコロナ拡大の元凶が飲食店であるかのように、飲食店に「酒の提供の自粛を要請する」ことだけの戦術だった。
コロナワクチンが手には入ったら入ったで、まるでコロナワクチンを接種すれば、コロナ感染症は解決するかのように盲信して、それに突っ走る。それが政府のやり方だ。私は菅義偉首相だけを責めない。安倍晋三前総理のほうが重罪のように思える。昨年2月にコロナパンデミックの兆候があったとき、「流行が起らなくても(実際に起った)、PCR検査の充実、医療体制の充実、この国の医療の弱点である民間医師の協力体制を必死になって構築すべきだった。PCRで感染者と非感染者を分けて、感染者を徹底的に隔離する政策をとるべきだった。
昨年2月にはPCR検査体制はなかった。しかし政府が必死になって、半年なりの時間をへれば、構築できたはずだ。しかし、そうした節がなかった。時の変化に任せてPCR検査体制を作り上げてきただけだ。それは平時の動きでしかなかった。戦時の動きではなかった。
政府と野党は、日本人の弱点をさらけ出してきた。いつも楽観的に将来を見ている。最悪を想定して対策を立てず、いつも希望的観測だった。別の言い方をすれば「あまい想定」だった。太平洋戦争前夜に日本の軍部指導者が対米国戦に描いた青写真と同じだ。日本の軍部指導者は希望的観測に基づいてハワイ・真珠湾を奇襲した。
間もなく、東京五輪が開催される。まさに希望的観測に基づいて開催されると考えても過言ではない。五輪が終わったあと、コロナウイルスが猛威を振るい、楽観的で脳天気な政府と国民が塗炭の苦しみに陥らないことを願うばかりだ。IOCのバッハ会長は五輪スポンサーからの金を抱えて日本を去って行くだろう。彼にとって、それが目的なのだから、東京五輪は成功とのたまうだろう。
この厳しい状況下で、与野党の政治家は本当に国と民を思っているのだろうか。与党自民党の衆議院議員は自分のことで精一杯だ。来たるべき総選挙にいかに落選せず食い扶持を確保するかということで頭が一杯のようだ。新聞によれば、「浮き足立つ与党」だという。「菅では戦えない」と叫び始めているという。苦し紛れに「経済対策を打ち出せ」と叫んでいるという。要するのコロナ対策は二の次のようだ。
一方、政権能力のない立憲民主党などの野党は、与党の失策と支持率低下に色めきたっている。政権を奪取する好機だ、と枝野・立憲民主党党首は触れ回っているという。野党も国民の運命は二の次なのだ。この政党も戦略なき行き当たりばったりの政党だといってもよいだろう。
この国はどうなるのか。この国と、そこで暮らす民の将来の運命を考えると背筋が寒くなる。コロナ対策でこのお粗末さだ。中国共産党の「魔の手」が台湾に伸びている。中国が台湾を武力で統一しようと決意して台湾を攻撃すれば、日本人が好むと好まざるとに関わらず、日本人は存亡の危機に直面する。いつかはわからないが、その時が来れば、避けて通れない。そのとき、今のような無能な政治家が、コロナ以上の難局に立ち向かえるのか。そうは思わない。私は70歳を過ぎ、余命いくばくもないのに、日本の悲惨な姿を見なければならないのか。暗澹たる気持ちになる。