一時中国へ帰国して失踪後、中国共産党により拘束されたことが明るみに出た孟宏偉・国際刑事警察機構(INTERPOL)総裁(拘束後、INTERPOLは彼の辞任を受け入れた。たぶん共産党の最高幹部に促された公算が大)のニュースが内外の各メディアで大きく取り扱われている。また今日、北海道洞爺湖町のホテルで始まった自民、公明両党と中国共産党の定期対話「日中与党交流協議会」の講演で、中国共産党の宋(そう)濤(とう)中央対外連絡部長は日中関係発展のためには一定のメディア規制が必要だと認識を示し、日本側に呼びかけた。この一連の報道は、あらためて日本国民に中国の政治体制と独裁政治への恐ろしさを印象づけている。
中国の独裁政治には司法の独立はない。司法機関の上に共産党が君臨する。共産党が司法だけでなく、立法も行政も支配する。
嫌疑を受けた中国の共産党幹部や党員は警察・検察機関の取り調べの前に、党中央規律検査委員会の「双規」と呼ばれる取り調べを受ける。そこで罪の有無・軽重を政治的に判断されたのち、司法機関に移送される。まさに中国共産党の独特のシステムで、容疑者(反党分子)が呼び出しを受ける場所と時間が指定されているだけで、拘留期間の明確な制限もなければ、家族に通知もない。秘密裡に行われるため、取り調べ過程で拷問が行われることもある。これは近代法治国家ではありえない制度だ。
この非近代的な、日本で言えば、19世紀末以前の中国のシステムが民主主義法治国家から問題視されてきた。このため、中国共産党は今年3月、憲法上でもその位置づけを明確に規定する国家監察委員会をつくった。その法的根拠となる国家監察法も制定し、党中央規律検査委員会から機能を受け継いでいるように見せかけている。しかし、あくまで外国に対するカムフラージュであり、実質的には共産党中央規律検査委員会が絶大な捜査権力を握っている。どこの共産主義国家も党が国家機関の上部にある。中国も例外ではない。
共産党中央規律検査委員会が容疑者を調べた後、容疑者は裁判にかけられる。ただ、裁判とは名ばかりで、実際は裁判官・検事・弁護士・被疑者等がシナリオ通りに演じる“ショー”に過ぎない。裁判官は事実と法律に基づいて判決を下すのではなく、党の意向に従う。
2013年、自由主義国家が行う“本当の裁判”をしようとして抵抗した元重慶市トップで、習近平国家主席の政敵だった薄熙来(元、重慶市トップ)は、当初15年程度の実刑判決が出るのではないかと見られていた。しかしこのことが災いし、無期懲役へと罪が重くなった。
今回、なぜ孟宏偉が中国当局に拘束され、調べられているのか。その理由は、孟が、かつて江沢民系「上海閥」の大番頭、周永康(元政治局常務委員、元中央政法委員会書記。現在、無期懲役で服役中)の部下だったからと推察する。だが、周永康失脚が確定後も連座せず、2016年にはINTERPOL総裁に初の中国人官僚として選出された。世界のメディアや知識人は習近平の信頼を得ていたと考えていたが、今回の事件からそうではなかったことが判明する。たぶん習近平政権は孟がINTERPOLトップになることで、国外逃亡中の反習派や反体制派への国際指名手配が容易になり、中国司法機関と逃亡先国家の警察との連携がスムーズになることを望んだという。事実、中国政府の思惑通りになった。
なぜ、習は中国の国際的評価をおとしめてまでして孟を法手続きによらずに拘束したのか。INTERPOLからこれまで得てきた中国共産党の利益は十分だと見込み、政敵だった薄熙来の部下である孟を用済みにしたかったのだろうか。また中国共産党おきまりの権力闘争の一環だとも理解できる。
孟宏偉もほかの党高官と同様、ポケットに札束(汚職)を詰め込んでいたにちがいない。それを口実にして習は邪魔者を消したのは明らかだ。中国共産党のボスは”法制度”などを使って権力の維持につとめてきた。
中国社会の賄賂と汚職は目を覆いたくなるほどの惨状だ。そして孟を拘束した習とその一族の手も白いかと言えば嘘になるだろう。彼とて汚職と賄賂に手を染めているにちがいない。
私の個人的な見解だが、この前近代的な独裁国家とつきあうには、冷静な目で、事実を見つめながら現実的な対応をする以外に道はない。中国共産党に対し、国際法と常識、善意で対応しようするのは論外だ。ただただ戦国時代の黒田官兵衛や竹中半兵衛、そして武田信玄でなくてはならない。
われわれ日本人は不幸である。もし中国が自由と民主主義を重んじる国家であるならば、米国に代わってアジアのリーダーになっても「良し」としただろう。受け入れただろう。しかしこの現実(中国は共産党の一党独裁)をしっかりと理解し、もし中国がアジア支配の野望と覇権を白日の下にさらすなら(明らかにその野望を抱いている)、自由と民主主義の日本社会は決然と中国共産党(中国と中国国民ではない)と対峙し、われらが築いてきた民主主義制度と自由な社会を死守しなければならないと思う。
中国の独裁政治には司法の独立はない。司法機関の上に共産党が君臨する。共産党が司法だけでなく、立法も行政も支配する。
嫌疑を受けた中国の共産党幹部や党員は警察・検察機関の取り調べの前に、党中央規律検査委員会の「双規」と呼ばれる取り調べを受ける。そこで罪の有無・軽重を政治的に判断されたのち、司法機関に移送される。まさに中国共産党の独特のシステムで、容疑者(反党分子)が呼び出しを受ける場所と時間が指定されているだけで、拘留期間の明確な制限もなければ、家族に通知もない。秘密裡に行われるため、取り調べ過程で拷問が行われることもある。これは近代法治国家ではありえない制度だ。
この非近代的な、日本で言えば、19世紀末以前の中国のシステムが民主主義法治国家から問題視されてきた。このため、中国共産党は今年3月、憲法上でもその位置づけを明確に規定する国家監察委員会をつくった。その法的根拠となる国家監察法も制定し、党中央規律検査委員会から機能を受け継いでいるように見せかけている。しかし、あくまで外国に対するカムフラージュであり、実質的には共産党中央規律検査委員会が絶大な捜査権力を握っている。どこの共産主義国家も党が国家機関の上部にある。中国も例外ではない。
共産党中央規律検査委員会が容疑者を調べた後、容疑者は裁判にかけられる。ただ、裁判とは名ばかりで、実際は裁判官・検事・弁護士・被疑者等がシナリオ通りに演じる“ショー”に過ぎない。裁判官は事実と法律に基づいて判決を下すのではなく、党の意向に従う。
2013年、自由主義国家が行う“本当の裁判”をしようとして抵抗した元重慶市トップで、習近平国家主席の政敵だった薄熙来(元、重慶市トップ)は、当初15年程度の実刑判決が出るのではないかと見られていた。しかしこのことが災いし、無期懲役へと罪が重くなった。
今回、なぜ孟宏偉が中国当局に拘束され、調べられているのか。その理由は、孟が、かつて江沢民系「上海閥」の大番頭、周永康(元政治局常務委員、元中央政法委員会書記。現在、無期懲役で服役中)の部下だったからと推察する。だが、周永康失脚が確定後も連座せず、2016年にはINTERPOL総裁に初の中国人官僚として選出された。世界のメディアや知識人は習近平の信頼を得ていたと考えていたが、今回の事件からそうではなかったことが判明する。たぶん習近平政権は孟がINTERPOLトップになることで、国外逃亡中の反習派や反体制派への国際指名手配が容易になり、中国司法機関と逃亡先国家の警察との連携がスムーズになることを望んだという。事実、中国政府の思惑通りになった。
なぜ、習は中国の国際的評価をおとしめてまでして孟を法手続きによらずに拘束したのか。INTERPOLからこれまで得てきた中国共産党の利益は十分だと見込み、政敵だった薄熙来の部下である孟を用済みにしたかったのだろうか。また中国共産党おきまりの権力闘争の一環だとも理解できる。
孟宏偉もほかの党高官と同様、ポケットに札束(汚職)を詰め込んでいたにちがいない。それを口実にして習は邪魔者を消したのは明らかだ。中国共産党のボスは”法制度”などを使って権力の維持につとめてきた。
中国社会の賄賂と汚職は目を覆いたくなるほどの惨状だ。そして孟を拘束した習とその一族の手も白いかと言えば嘘になるだろう。彼とて汚職と賄賂に手を染めているにちがいない。
私の個人的な見解だが、この前近代的な独裁国家とつきあうには、冷静な目で、事実を見つめながら現実的な対応をする以外に道はない。中国共産党に対し、国際法と常識、善意で対応しようするのは論外だ。ただただ戦国時代の黒田官兵衛や竹中半兵衛、そして武田信玄でなくてはならない。
われわれ日本人は不幸である。もし中国が自由と民主主義を重んじる国家であるならば、米国に代わってアジアのリーダーになっても「良し」としただろう。受け入れただろう。しかしこの現実(中国は共産党の一党独裁)をしっかりと理解し、もし中国がアジア支配の野望と覇権を白日の下にさらすなら(明らかにその野望を抱いている)、自由と民主主義の日本社会は決然と中国共産党(中国と中国国民ではない)と対峙し、われらが築いてきた民主主義制度と自由な社会を死守しなければならないと思う。