本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

ヘルパーさん

2018-09-09 19:51:24 | 住職の活動日記

ある法座の会へ

お世話になった先生、

ここのところ体も不自由になり

歩くのもままならず

お迎えに行って

一緒に聞法して家までご一緒する

ということなんですが、

いつもお会いしているのに

受付の方

「ヘルパーさんですか」と、

どうもヘルパーさんと思って

おられるようです。

「はい、そうです」

と答えていたのですが、

 

ふと思うと「ヘルパーさん」

という言葉はなんともいい響きです。

「助ける」

仏教の中にもよく出てきます。

仏のお助けとか助けられるとか

 

助けるという字も

横に力という字が付いています

ひとに力を加えてたすける

ということが語源のようです。

辞書を見ていると

たすける、という字も色々あって

漢字にはそれぞれ微妙な意味の違い

あります。

そういうことをみるのも

漢字の面白さでもあります。

 

そこを漢字を使わず

「ヘルパーさん」と、

「介助人」というとどうも

しっくりきませんし、

何かしら親しみがわかないような

気もしてきます。

上手に英語に直して使うと

何となく優しい言葉に聞こえてくる

から不思議な気もします。

 

そういうと、

「Help」というビートルズの歌

「助けてほしい!

 そばにいてくれるだけで

 助かるんだ!」

と、歌っていますが

助けて、という叫びです。

あらためて翻訳を見てみると

どことなく

共感できるものがあります。

 

昔ですと

一休さんと蓮如上人の歌が

あります。

「阿弥陀にはまことの慈悲は

 なかりけり

 たのまぬものは助けたまわじ」

阿弥陀さんの救いとは

安もんではないかと

たのむ人しか助けないのか、と

一休さんが歌を送るのです

すると、

蓮如上人がすぐに返歌をされます

「武蔵野の葉ごとに月は宿れども

 露なき草に月はやどらじ」

お月さまは平等に光を投げかけて

おられるけれども

露のない草には月の光は

映らないのでは二でしょうか、と

 

助ける、助かる

ということも微妙な問題です。

こちらが助けているつもりが

逆に

身体の不自由になった先生に

導かれて助けられているのでは

と思うのです。

先生が不自由になられた

ということがなければ、

私自身この法座に出ることは

なかったと思うのです。

 

助けているつもりが

助けられている

強い人が弱い人を助ける

というけれど、

弱い人によって強い人が

助けられている

という現実もあるようです。

 

 

 

 

 

 

 

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