本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

分け登るふもとの道は多けれど…

2021-04-01 20:18:32 | 住職の活動日記

「分け登る ふもとの道は

  多けれど

 同じ高嶺の月を見るかな」

 

という、一休さんの歌があります

よく、三浦先生から聞かされ

特に心に残っている歌でもあります。

 

道はいろいろ沢山あるけど

どの道を上っても

登りついてみる月は同じだという

それぞれ道は違っても

たどり着く境地は同じものである

ということを詠ったものです。

 

安田先生の奥様のもとへ

よくエホバの証人の方が

勧誘に来られたそうで

奥様もお断りすることもなく

お互いに長いこと話され

まあ、何日も話されたようで

すると、

どちらがどちらを勧誘する

こともなく

話すうちに

お互いの立場がはっきりしてきて

自分は仏教の教えを聞いて

自分がはっきりしそれでよかった

エホバの方もキリストの教えを

守ってきてよかったと

自分の信仰がお互いに

はっきりしてきて

自覚がはっきりしてきたという

ことだったそうです。

 

仏教、キリスト教を問わず

その道を極めていけば

登りついて見る月は一緒

ということです。

 

一休さんにはその他にも

 

「成仏は 異国本朝もろともに

 宗にはよらず 心にぞよる」

 

という歌もあります。

一休さんと浄土真宗の蓮如上人は

とても気が合うというか

お互いに気持ちが一つになって

宗派は違えども

肝胆相照らすというか

お互いに分り合えた仲だった

ようです。

一休さんも最後には

自分は浄土真宗の教えに依っても

いいというほど

信頼されたということです

 

といこともあってか、

親鸞聖人の二百回忌の法要に

招待されその時頼まれて

詠んだ歌が、

 

「襟巻の暖かそうな黒坊主

  こいつが法は天下一なり」

 

ということです

ここまで言えるということは

お互いの信頼関係の深さを

知ることが出来るようです。

 

三浦先生も、

これでなければいけない

ということは仰っていません

でした

ただ、自分の信じた道は

最後までやり通せ

ということを仰っていました

信じたことをやり通せば

必ず通じ合うことは同じだ

ということです。

 

それから、もう一つ

 

「数ある小道も みだりに行くな

 最初の一足 ついには千里」

 

という歌です

私たちにとって可能性というか

道は無数にある

といっていいでしょう

しかし、

最初に踏み出した一歩は

歩んでいくうちに

ついには千里ほどの

開きが出てくるということです

 

そこに道を選び取る

ということの大切さがあります

どの道も選べますが

選んだ道はやり通さなければ

いけないということです

また選び間違うと

とんでもない方向に

行ってしまうかもしれません

 

そこに、

出逢いの不思議も感じます

この人と出会った

そして選びとった

出会う前には

それぞれ無数の縁が

重なり合って今の自分があります

その無数の縁を抱えた者同士が

出逢い、

道を選び取っていきます。

 

しみじみと

自分の選び取った道を

振り返ってみると

本当に不思議な縁の重なり合い

ということが

思い知らされます

どの縁が一つ欠けても

今の自分もないし

お互いの今もないように

思います。

 

数ある小道を選び取り

登ってみる月は

同じものなのでしょう…か

厳密には

同じ月を見る部分もあるし

違うものを見ている部分もある

というのが本当なのかも

知れません。

一心異体ですから、

体が違うということは

境遇が違うということです。

 

20代に聞いたこの歌が

はたまた、73の歳に

思い出してくるというのは

古くて新鮮な歌でもあります。

 

 

 

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