本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

身・口・意の三業

2024-09-14 19:40:01 | 十地経

在家の方でも一番初めに読む

勤行法則の最初は、

開経偈(かいきょうげ)があり

それから、三帰サンキ・三竟サンキョウ・

十善戒ジュウゼンカと続きます。

ですから十善戒といえば

一番初歩的なお経です。

その十善戒が『十地経』では

第七遠行地に出てきます。

遠行地といえば、

次の地が第八不動地といって

もう仏の世界です。

その一歩手前の七地になぜ、

誰もが読む「十善戒」が出てくる

のか面白いところです。

 

今読んでいるのは

『十地経論講義』です。

ですからこの論のもとになる経は

『十地経』です。

『十地経論』の中では、

「経に曰く」(きょうにいわく)

という言葉で始まり、

その経に対する論が、

「論じて曰く」(ろんじていわく)

と、世親菩薩の解釈が始まる、

という構成になっています。

 

今問題になったところの

経の部分を紹介します。

 

「経に曰く、

是の菩薩は此の

第七の菩薩遠行地の中に住して、

畢竟じて深淨の身業を成就し、

畢竟じて深淨の口業を成就し、

畢竟じて深淨の意業を成就す。」

 

こういう形で出てきます。

十善戒でいうと

身業にあたるところが、

 不殺生・不偸盗チュウトウ・不邪淫

の三つです。

口業(くごう)にあたるのが、

 不妄語・不綺語・不悪口アック・

 不両舌、の四つです。

意業にあたるところが、

 不慳貪ケンドン・不瞋恚シンニ・

不邪見の三つになります。

 

身が三、口が四、意が三で、

口に関する戒めが四つあります、

やはり、口は禍の元ということでしょう

 

畢竟(ひっきょう)というのは

究極というか、

英語ではアルティメット

ということです。

 

こういうことを踏まえて講義では、

 

「この経文を

世親は戒淨とこういう。

なぜ戒ということをいっているか

というと、

今読んだ内容がですね、

三業が清浄であると。それから

善、不善の今度は業道ですね。

業とか業道とかいうことが

語られとる、

それで戒といったんでしょう。

 

ま、こんなことがね、

第七遠行地というものの果として、

あまりに平凡じゃないかと。

今更善悪というようなこと

いっているのは

どういうことかと。

身口意の三業というようなことは

いかにも平凡なことのように

見えるけど、

経文をよく注意してもらうと、

 

三業は三業に違いないけど、

深淨(じんじょう)と書いてある。

深淨なる三業。

それから成就する、

畢竟(ひっきょう)じて成就する。

深淨なる三業を畢竟じて成就する。

畢竟じて、

ついにはというような字です。」

 

ここらは、先生も読み解いて

いかれるところです。

言葉を繰り返しながら、

思索を深められるのでしょう。

なかなか話がすんなりと進まない。

こういうことが、

聞いている私たちも三昧の世界に

引き込まれていくところです。

 

「深淨」という言葉一つでも

深くて清らかな、というような

簡単な意味では終わらせないで

繰り返しながら考えていかれます。

 

 

 

 

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