本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

四住期(しじゅうき)

2019-08-19 20:49:37 | 住職の活動日記

この年になるとよく目にするのが

「セカンドライフ」ということ

いかに楽しく次の人生を送るか

ということで

色々の習い事から、勉強会や

また、

自分がしているセカンドライフの

楽しみ方の発表とか

そういうことが目にとまります。

 

古代インドでは

「四住期」という考え方があって

仏教辞典にない所から見ると

やはり仏教以前からあった

考え方なのでしょう。

 

学生期(がくしょうき)

 生まれたから25歳まで、

 人間としての生きる知恵を

 つけるための学びの期間。

学生(がくしょう)という言い方は

仏教でもそういいます。

伝教大師の

『山家学生式』サンゲガクショウシキ

仏教の立場からすれば

人生の全体が学生(がくしょう)と

いうあり方なのです。

常に学び求道に立つという

 

家住期(かじゅうき)

 25歳から50歳

 社会人として伴侶を得て

 家庭を作り

 仕事に励む時期。

人生で一番輝いて仕事に恋愛にと

励むという時です。

 

林住期(りんじゅうき)

 50歳から75歳

 仕事や家庭から卒業して

 林に庵を構えて

 自らの来し方、行く末を

 深く瞑想する時期。

今でいうセカンドライフの

時期なのでしょう。

第一線を退いて悠々自適

最近はそうもいきませんが

今までの人生を見直すとき

そういう時間でしょう。

 

遊行期(ゆぎょうき)

 75歳から100歳

 林(庵)から出て

 思うままに遊行して

 人に道を説き、耳を傾け

 人生の知恵を人々に授ける時期。

まあ、この年まで遊行できれば

いいのですが、

病院のベッドの上かもしれません

お釈迦様の説法に回られるのを

遊行といいます。

今でも政治家の方とか遊説という

遊ぶという字を使いますが

 

仏教でも

園林遊戯(おんりんゆげ)

ということをいいます。

さとったけれど再び迷いの世界に

舞い戻ってすべてのもを救う

そういう楽しみというか

仕事ではなく遊びにまで昇華された

そういう境地を言うのでしょう。

努力が努力でなくなる

すべてが遊びとなるような

まるで子供が林の中で遊ぶような

一休さんの子供と遊ぶような

姿なのでしょう。

 

こうやって見てくると

セカンドライフということはなく

すべてが人生の成すべきこと

第二の人生とかいうと

もう一度人生輝かそうと

いうのでしょう。

そうではなく

林住期は林住期のやるべきこと

遊行期には歩けなくなったら

ベッドの上でも

人の話に耳を傾け、笑顔で返す

たとえ動けなくなっても

口はかなわなくなっても

感謝の気持ちの笑みを浮かべる

それだけはできるのではないかと

思います。

 

そういうものの

年を取っていくという残酷さ

本当に難しいものを感じます。

 

 

 

 

 

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