最近では「尊い」ということは
あまり聞かなくなったようです。
何かにつけて
「あの人は偉い人!」
ということはよく聞きます。
私勝手な解釈ですが
「偉い」というのは
だれだれと比べてという
比較して偉いということが
言えるのではないかと
思います。
「尊い」というのは
比べることなく
それ自身があることが
尊いのだと、
そのような感じがするのですが
テレビで
再放送でしたでしょうか
「シルクロード」というのを
放送していました。
あの玄奘三蔵が通った道でもあるし
「絹の道」
この道を通て色々な文化が
伝えられましたが
本来は物流の大動脈だったのです
パミール高原でしたか
5000m級の山を越えていく
高地のため牛や馬は動くことが
出来ない
そこで活躍するのがヤクです
それでも高地のため血圧が上がる
そこで頭にくぎを刺して血を抜き
血圧を下げる
過酷すぎるため途中で倒れる
ヤクも出てくる
そのヤクはそこで狼の餌になり
その死骸の白骨が目印となる
その骨を頼りに道を歩むという
まさに身を挺して切り開いた道
なのです。
その光景を見たとき
それぞれの生き物の尊さ
玄奘三蔵がそういう道を通り
経典を伝え
仏教の正しい教えを伝えた。
玄奘三蔵もさることながら
それをサポートした人々
経典を運んだヤクや像
あらゆる命の尊さを感じたのです。
誰と比べることなく
そこで生きていること自体が
尊いのではないか
お金を儲けたとか
地位や名誉を得て勲章を頂いた
それはそれで
いいことなのかもしれませんが
人からは偉いといわれるでしょう
しかし、
尊いとは言われないと思います。
お釈迦様のことを「世尊」と
呼んでいます。
バガバット・婆伽梵(ばがぼん)で
世の中で最も尊き者という意味です
また、
お釈迦さまが生まれたとき
七歩歩んで天と地を指さし
「天上天下唯我独尊」と
名乗りを上げられたとあります
俺はこの世で一番偉いのだ
という意味ではありません
誰にも変わることができない
存在である
ということで尊いと言われた
と思います。
仏教には、
一番厄介な心に「自他差別心」
という心があります
自分と他人を比べる心
比べるだけならいいのですが
上の人を見ると
引きずり降ろそうとしますし
下の人を見ると
優越感をもって見下して
しまうものです。
この心は個人だけにとどまらず
大きく成長していけば
民族的な差別する心にも
なっていくものです。
最近では
価値観が違ってきて
儲けたとか、位が上がったとか
勲章を頂いたとか
そういう価値基準のようで
人と比べることなく
その人自身尊いという感覚が
希薄になってきているようです。
「シルクロード」に
出てきている人々の顔は
生き生きとしていて
その場その場で一生懸命生きている
姿がとても尊い姿に見えました。
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