本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

偶然の中に大きな必然を見出す

2023-12-19 20:02:24 | 十地経

人と人との出会いは

本当に偶然なことです。

偶然に出会って

こんにちわ、さようなら

と、それで終わってしまう

出会いもありますが

この人と出合うために

自分があったんだという

必然性をみいだすことが

あります。

 

安田先生の講義も

たまたま、偶然の縁が

東寺の宝菩提院での法座と

いうことになり

その講義が原動力となって

色々の先生方に力を与え

素晴らしい学園活動が

成り立ったということです

 

そのことを少しですが

述べておられます。

 

「我々があなた方に、

我々がこうして何か一つの

感心をもって結びついた

ということは、

これは歴史的なことなんだ

 

それは好きでやった

ことじゃないんだ。 

その、そう、気が付いて

初めて分かるんであって

ですね、

何かそこに、非常に、

久遠の因縁というものが

あるわけですわ。

 

どこの馬の骨に会うた

というもんじゃないわ、

我々が会うて、そうやろう。

ちょっと東寺にきてみて

偶然に会うたんだけど、

 

しかしその、

偶然であって、

その偶然の中に大きな必然

があってやね、

多生曠劫の因縁という

ものに、そこに

結ばれとるわけですね。

 

そういうものが自覚されて

こんとやね、もう、

我がまま勝手ということ

にしかならんじゃないか。

ええ。

使命は出てこない

でしょう。

こんな人と、

どこの馬の骨か知らんけど

会うはずはなかったんや。

 

会うてみて、

なるほどということが

うなづくわけですね、

そこにね。

それがね、まあ、

僕は思うけどもね、

 

あんた方まだ若いから、

そう思わんけど。

僕はあの、

友達とか何とかという

ものでもね、

この友達あかなんだら

新しい友達をなんぼでも

次々に作っていくって、

そういうことできる

ものじゃないと思う。

 

うん。

それで我々の会はね、

まあ初めはちょっと

縁が触れて、

初めは萌芽的なものが

だんだん成長していって、

そうするといろんな事件に

ぶつかるけれども、

まあ

それを乗り越えていける、

継続していく。

 

最後には、まあ、

一番早いのは、

いずれ皆死んでいくわね、

いつまで生きても。

で、ポツポツ減っていくと

歯が抜けるように。

老いこんでいくと。

最後にはまあ、消えていく

 

それで僕は、

そういうことは情けない

ことやと思っていたんや、

長いことね。

自分の力が足りんのかなあ

と思っていた。

 

そうじゃない、

そりゃ生きとる証拠なんや

生きとるものは成長があり

成熟があり、老衰があり、

死滅がある。

 

永遠に死なんようなものは

何か本物じゃない。

何か経済の組織とか、

規則とか、そんなもので

培うから続いているんで

あってですね、

生きとるものは必ず

終わらんならん。

 

それが生きとる証拠や。

そうしてみるとやね、

今会うて、やがて

別れていかんならん、

死んでいかんならん。

そういうはかないもんだ。

 

そのはかないという

ところに生きとる証拠がある

うん。

はかないというところに

生きとる証拠がある。

そういうもんじゃないか。

 

そのはかなさという

ことの中に、いわゆるこの、

はかなさを貫いて、

一つのですね、

あのー、歴史、そのー、

はかなさを貫いて何か永遠

のものが生きとるから

歴史になるんですね。

 

何かこう、

消えていくというもんじゃ

あない。」

 

私達にとっても

出会いということを考えて

思い返してみると

思い当たるものが

あるようです。

 

 

 

 

 

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