一、自己を尊重せよ
一、真理を探究せよ
一、社会に献身せよ
というのは、
洛南高校の校訓ですが
この校訓ができるとき
いろいろ意見があって
「尊重せよ」というのは
命令的で上から目線で
いけないのではないか
「自己を尊重しましょう」
とかしたらどうですか
というような意見も
あったようです。
これはそうではなく
自分が自分に対して
命令しているのであって
他から命令されている
のではない、
ですから、
「自己を尊重せよ」で
いいのだと
こういうやりとりがあって
決まったようです。
ここのところは
安田先生の
三浦先生に対しての
激励のようなものを
感じるのです。
昨日から重複しますが
「私は私のものじゃない、
道のものだと。
私の存在は私の自由に
できんもんだと、
こういうわけやね。
そういう拘束がなければ
人間、
何か生きがいとか
というものは
ないんじゃあないかね。
まあ一応やってみるけど、
はやくたびれたら止める
ということになる。
つまり
人間の利害を超えてやね、
人の批評とか、
悪口とか、
そういうものを超えて
生きていくと。
こういう時には、
勝手に
生きていくんじゃない。
生きんならんような
ものがあるから。
それで、
そういう力が
出てくるんじゃないかな。
私はもう私のもじゃないと、
ええ。
だからして、
死んでもいいと
いうんじゃないです。
大事にせんならんと。
自分の肉体も、健康も、
大事にせんならんと。
こういうものでなけりゃ
ならんわね。
自分が大切だということや
尊重やね。
自己を尊重する
というようなね。
こんなのは、
我がまま勝手から
出てくりゃせんわ。」
やはり
大きな問題があるもので、
そういうことを安田先生も
ちゃんとご存じで、
でも直接は面と向かって
仰らないのですが
こういう講義の中で
それとわなしに
話しておられます。
「人の悪口とか批評とか」
何気ない一言ですが
三浦先生にとっては
生き死にに関わるような
大問題を抱えておられた
ようです。
大衆威徳の恐れ
ということがあって
他人の口というものは
恐ろしいものです。
色々の方が報道で
マイクを向けられ
詰め寄られている光景を
拝見しますが
本当に大変だろうと
思います。
ですから、
安田先生もくどいほど
「私は私のものではない、
道のものだと」
そして、
批評とかを超えて
生きていくんだと。
そういう励ましがあった
ように思うのです。
何だかこのページから
進まないのです。
その当時の光景を思い出し
ながら繰り返しています。