本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

止観に出てくる煩悩

2023-12-04 20:10:19 | 十地経

『十地経』では

止観ということが、

二行という形で出てきます

しかし、詳しくは

述べられていないようです。

 

ものの実相を明らかにする

方法が止観ということで、

止観という行がある

のではなく、

行はすべて止観なんだと。

その行のもとになる動機が

願であるということが

出てきました。

 

引き続き、

 

「ここへきて初めて止観が

出た。

ここでは止観が、

述べることが目的じゃない

んです。

それは、初めから止観だ。

止観を離れては何もない

でしょう。

十波羅蜜というのも、

十地というのも、

皆、止観の行道。

 

ただこのときには、

止観を二行という。

止と観と。

これは違うから。

違うんですね。

止と観とはなかなか

違うんです。

 

違うが故にですね、

まあ正反対と言って

いいかもしれん。

違うが故になかなかこれが

一致せんのです。

 

やたらに、ああだろうか、

こうだろうか

頭をはたらかしとるのが

観です。

それから、ただ沈思黙考

しとるのが止です。

何も出てこない。

これが結合しなきゃならん

けど、結合する

ということが容易でない、

正反対だから。

 

これは、煩悩の中にね、

止観を妨げる煩悩という

ものがありまして、

惛沈(こんぢん)という。

それから掉挙(じょうこ)

という。

非常にこれはむしろ

苦労した字です、漢訳して

ですね。

面倒な字になりますけど。

 

止観というものを… 、

止観の反省から見出して

きた煩悩です。

何も煩悩、

ポーンと浮いとるものじゃ

ない。

やりかけてみて、

やらさんというところに

煩悩がある。」

 

煩悩ということも

何か自分にとって妨げる

ものというか、

自分にとって何かしら

都合の悪いもののように

思うのですが

普段何気なく生活する

分には煩悩はないのです

 

何か目的を持った時

その目的を達成しようと

すると途端に

何でもなかったことが

障りとして身に迫ってくる

 

煩悩も大中小とあって

これは

煩悩の起こる範囲が違う

ので大中小というのです

根本煩悩というものがあり

それに付随する煩悩が

大随煩悩・中随煩悩・

小随煩悩と別れています

 

小随煩悩は一番身近で

腹が立つとか貪るという

日頃起こる煩悩

中随煩悩は二つです

無慚・無愧

(むざん・むき)

慚愧の念というように

恥を知るというような

ことです

大随煩悩は十あり

その中に

惛沈(こんじん)

掉挙(じょうこ)

があります。

 

この惛沈・掉挙は

普通の生活では起こらなく

精神生活に入ると

出てくる煩悩です。

ですから、気がつかない

煩悩なのです。

 

ですから煩悩も幅広く

日々の生活で出てくる

腹が立ったり、

あれも欲しい

これも欲しいという

煩悩らしい煩悩もあれば

静かに座るという

座禅したり、精神生活で

出てくる煩悩もあるのです

 

 

 

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