お釈迦さまが
さとりを開かれた日です
それを「成道会」と
道を成した日というのです
それで、
八相成道
(はっそうじょうどう)
といってお釈迦さまの一生
を八つの相に分けて
こう呼ぶのです
その中心が
さとりを開かれた
人間が仏になったという
ことで成道が一番の中心
です。
さとりということには
色々の表現がありますが
「覚」(かく)
めざめるという
それまで知らなかったこと
が明らかになった
迷いが明らかになった
それで
仏のことを覚者と、
また、覚有情とも
目ざめた有情ということ
です
また、さとりへ至る
さとりへの道程
ということで
「道」ともいいます
人間が仏になったその道程
それで、成道とも
人が仏になる道筋という
ことで道を成すと、
さとりというと
何か特別なことのように
考えるのですが
そうではなく「道」と
いうと誰でも通れる道
誰でも歩ける道という
ことで、
特別なものでなく
開かれたことのように
感じます
誰にでも開かれた道
ですから「成道」という
言葉は非常にいいですね
しかし、
十地経講義を聞いてみると
道というのは辿り着く
というより
その道が見つかるという
ことが大切なようです
到達するよりも
道を歩む、その道程にいる
そのことが大事なようです
その八相成道ということは
下天(げてん)
兜率天より白象に乗って
この世に下りてくる
という生まれる前からの時
から始まります。
託胎(たくたい)
お母さんの摩耶夫人が
右脇から白い象が右脇から
入ってくる夢を見られる。
降誕(ごうたん)
お母さんの摩耶夫人の
右脇から生まれらる
この時、七歩歩まれて
「天上天下 唯我独尊」
と名乗られたという
話しもあります
処宮(しょぐう)
宮ですから、宮廷での生活
つまり世間生活をされる
出家(しゅっけ)
妻子を捨て、城を捨て
一切を捨てて出家される
降魔(ごうま)成道
菩提樹下で悪魔を対治され
さとりを開かれる。
煩悩の姿を目の当たりに
見られたという
悪魔という煩悩を見たら
悪魔は居り場所を失い
消えてしまう
ということです。
降魔と成道を別々の項目に
考えることもあります。
転法輪(てんぼうりん)
初めて法を説かれる
そのことを、法・教えの
輪を転じられた
ということに喩えるのです
入涅槃(にゅうねはん)
涅槃に入られる
80年の生涯を閉じられる
ということですが
やはり、人として生まれ
さとりを得るということが
目的ですから
成道ということが中心です
12月8日ですから
「臘八会」(ろうはちえ)
とも呼ばれます。