本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

腰掛け根性

2023-12-18 20:52:43 | 十地経

「腰掛け根性」という

若い方でも、

「この仕事は自分に合い

 ません」

とかいって辞めていく人

がおられますが

まあ、自分に合う仕事

というものはそう簡単に

あるものではないと

思います。

 

反対に合わなかったら

まあ少し辛抱してと

惰性的におられる人も

おられるようです。

そういうことを

「腰掛け根性」と

いうのでしょう

そういう心からは

使命感というものは

出てきません。

 

そうなると

やることなすこと

気持ちが入らなくて

仕事もうまくいかないし

自分でも面白くなくなって

くるのです。

 

ただ月給をもらっている

からいるという。

そういうことから

講義では続けて

 

「やっぱり腰替え根性を

脱出できん」

ということが出てきて

 

「ええ、月給もらっている

からやっとるんだという

ような、

それっでいいわ、

そんなら止めるという。

月給安けりゃ高いところへ

行くというようなもんや。

それ以上出てくりゃせん。

 

それは自由だわね、

そんなものは。

それはあなたの自由だ。

ですけど、

自分が自分の自由になる

ほど、あんたはつまらん

もんですね。

 

自分のようなものの

自由に自分がなるんだから

 

それほど安っぽいもんだ。

そういうふうに

なってきますね。

自重というようなことは

出てこない。

 

それとも何か

理性的に考えて、

いや真理のためとか、

理想のためと

かというようなこと

いってみたところで、

観念論や。

 

やっぱりそこに何か

歴史的な具体性がないと

使命が出てこない

でしょう。」

 

何か、自由、自由と

いうことをよくいうのです

自由というと

自由のための戦いとか

一つの最も大切なものの

ように考えますが、

 

さらに踏み込んで考えると

自由ということも

自分の自由になる

というような自由

つまらん自分が思う自由

そんな安っぽい自由

ではないかと

 

何でも自分の自由になる

そういう考えが

根底にあるので、

自分に合う合わないという

ことが出てきて

やはり、

腰掛け根性という

ものが出てくるのでしょう

 

誰かが

「妻を愛し、仕事を愛し

土地を愛する」

そういうことがないと

何ごとも成功しない

ということを言って

おられましたが、

 

同じようなことで

腰掛け根性と

使命感というものは

正反対のようで

繋がっているように

思うのです。

 

何かしら、

その土地の骨になろうと

心を決めたとき

何かしら、心が軽く

なったような、

気持ちが明るくなった

ものです。

 

 

 

 

 

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