本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

抜け初めて「彡」分かる「髪」は「長」い「友」だち

2020-11-25 18:20:49 | 住職の活動日記

というようなコマーシャルが

以前ありましたが、

最近、

他人ごとではなくなってきました

頭を俯瞰されて

「頭頂部が薄いよ!!」

と言われたのです。

 

コロナ禍ということがあって

散髪に行くのも控えていたのです

するとそこそこ伸びてきて

まあこれでもいいかと?

やや、長髪になってきたという

次第なのです。

すると気になりだしたのが

抜け毛

どうも私のらしき長さの髪の毛が

いたるところで

目に付くようになりました。

 

この年になって突然長髪に

なったものですから

髪のセットの仕方が分からない

やはり短い髪は

何かと便利なのです。

 

お坊さんはなぜ「丸坊主」と

いうように短い髪なのでしょう

宗派によっては長髪のところも

ありますが、

お釈迦さまの頭は

螺髪ラホツといって縮れた毛が

渦巻いたようになっていて

そして肉髻という頭のてっぺんが

盛り上がっています。

この肉髻ニクケイをウシュニシャと

いいます。

仏・如来は螺髪という頭ですが

菩薩になると髻モトドリといって

髪の毛を結い上げているのです

その上に冠を被り

手には腕は胸には首飾りと

立派な飾りを付けています。

ただ、菩薩で髪を剃っているのが

地蔵菩薩です。

 

ということは

お坊さんのように頭を丸めている

仏さまはあまり見かけません。

頭を丸めるということは

落飾ラクショクということが

あるように、

天皇とかがその位を離れ

僧籍に付く時に飾りを落とす

落飾といいます。

 

頭の髪の形は

一つの象徴であり位を表す

ということがあります

相撲取りでも横綱と

下の位の力士の丁髷チョンマゲは

結い方が違います。

 

今でも、育毛剤のコマーシャルが

よくテレビで流れていますが

髪の形というものは

顔以上に大切なもののようです

女性にしても髪型は美の象徴の

ようでもあります。

その大切な髪を落とす

ということは

その人の社会的地位をなくすという

側面を持っているようです

 

今でこそありませんが

むかしは学生といえば丸坊主

というのが当たり前でした

よく聞かされたのは

「働かざるもの食うべからず

というのが原則ですが

学生という位において

今はその学業にいそしみます

それで働くということを

免除してください

その覚悟として頭を丸める

一切の飾りを落とし

学業に専念する」

そういう意味を持っている

ということでした。

 

髪が薄くなっていっても

何とか有る部分の毛でもって

形を作る、髪形をセットする

というのが人情ですし

その人の存在を表現する

ということでしょう。

 

今まで、短く刈っていた時は

気にもしなかった髪の毛

薄くなっていくというと

あるばっかりに気になるものです

薄くなれば元のように

短くすればいいのですが

有ればあったで短くするのが

寂しいような

何とも不思議なものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント
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