意外なところで二つの法灯に
出会いました。
燈明ということは仏教においては
とても重要なもので、
千年の闇も
一本のマッチの光で破られる
ように、人間の煩悩の闇も
一筋の智慧の光で
破られるものです。
ですから、
法灯を護るということは
お釈迦さまの教えを
護っていくことと同じように
大切なことなのです。
何気ない囲炉裏の炭火
ここは仙台の秋保アキウ温泉
「佐勘」というお宿です。
この囲炉裏の火は約400年前
文禄2年(1192)大火に見舞われ
焼失してしまいました
そこで再度の火難を除けるために
紀州の高野山より
弘法大師以来伝わっている
「貧女の一灯」を分灯してもらい
今に伝えているのです。
夜こっそり見に行くと
囲炉裏の火は
赤々と燃えていました
この炭火で法灯を護る
という発想は
なかなかたいしたものです。
以前あるご縁で灯を護ったことが
あるのですが
燈明は難しく船舶用のランプで
灯し続けたのですが
やはり、
消えてしまったことがあります。
この母屋には立派な神棚もあり
こういうお飾や
代々伝わってきたであろう
達磨さんが鎮座しておられました
アップで見ると
こういうお顔立ちです。
それからもう一つの法灯は
比叡山に伝わる伝教大師以来
護り続けてこられた
「不滅の法灯」です
その分灯があったところは
「立石寺」リッシャクジというお寺
通称「山寺」と親しまれています
60段ほどの石段を上がり
本堂である「根本中堂」が
建っています
途中には今が見ごろの
紅葉や境内のイチョウの紅葉は
見事なものでした。
本堂である根本中堂に上がると
中には
「不滅の法灯」が掲げてあります
この内陣の奥です
御簾ごしに見える大きな燈籠に
あるようです
内陣へ参拝させていただき
間近に見ることが出来ました
やはり菜種油と灯心で
灯されています。
比叡山は信長の焼き討ちに遭い
全山焼失して
当然、「不滅の法灯」も
無くなってしまいました。
その時、この立石寺より
分灯して今に伝わっている
ということです。
内陣は撮影できませんでしたが
大きな燈明皿に5本ほどの灯心で
灯されていました。
比叡山では燈明を護るという
お役目はないそうで
誰か気がついた人が
油をさし、灯心を切ったりして
護っているということです
灯心を切って油をさす
この単純な作業を怠ると
火は消えたり、灯心の残りかすが
落ちて火災の原因となります。
こうやって
分灯があるということは
いざという時の
大きな役目をはたしている
ということです。
山寺はここからが奥の院に
到入り口で
約千段ほどの階段を上がると
着くことが出来るのです。
思いがけなくも
高野山の「貧女の一灯」と
比叡山の「不滅の法灯」という
二つの燈明に出会えたことは
何よりの有り難いことでした。