「影響」という言葉
何かしら好きな言葉です。
影が響くと書きます。
響くということも
今は、よく人とのふれあい
ということをいいますが
人と人との心が響く合う
という方がより積極的な
気がします。
何ごとをするにも、起こすにも
心が響き合わなければ
何も起こらないようです。
その人の心に感動し響き合って
起業ということも成り立ちます。
仏教に「感応道交」
(かんのうどうきょう)
という言葉があります。
辞書には、
「衆生が仏心を感じ、
仏力がこれに応ぜられるのを感応
道交とは行き交わること」
とあります。
感に応じて道に交わる、
聞法ということも
こういう、聞いた事に感じて
行動が起こってくる
ただ聞きっぱなしにする
のではなく、
聞いて頷いたら実践に移す
そういうことが大事です。
「いい話でした!」
というのは、他人後この話で
自分にっ響いてきてない
ということです。
影という字もおもしろく
各宗派のお祖師様をまつるお堂を
御影堂と書いて、
(みえどう)とか(ごえどう)
というように宗派によって
読み方は違うようです。
この時も、
影という字を使います。
影日向カゲヒナタということも
いいますが、
この場合は、すがた・おもかげ・
ほんもの、という意味でしょう。
また、背景の「景」という字も
ひかげという意味もあり
けしきという意味もあります。
なにかしら、かげということに
ほんものというような意味が
あるように思うのです
「おかげさま」というように
ほんとうのハタラキなんですが
それを影の力として感じる。
お祖師様には直接触れることは
できませんが
影の働きとして感じ取ることが
できる
そこに奥ゆかしいものを感じます
釈尊を釈尊として成立たせている
その背景を知る
お釈迦さまだけだったら
薄っぺらいような気がします
その背景が大きいのでしょう
それで、
前生譚といわれるジャータカ
のようなお釈迦さまの前生物語が
たくさん存在するのでしょう。
『十地経講義』のなかでも
「普通は、小乗仏教から大乗仏教
が出てきたというんです、一応。
その見方も大事です。
ところが、
後から出てきたものが一番初めに
あるものです。
後から出てきたものはだんだん
薄うなったんじゃない。
後から出てきたものは
実は根底だった。
そうすると釈尊の背景は
釈尊より大きかったんだ。
釈尊をして釈尊たらしめたんだ。」
ということが出ています。
影ということには
その人の背景というか
その人をしてその人たらしめる
そういう意味があると思います
ですから、
人と人との出会いにしても
その背景同士が感じ合う
「影響」という字も
大きく拡大解釈すれば
お互いの影が響き合う
そこに本当の人間同士の
つながりが
生まれるような気がします。
それから、
「影向」(ようごう)
という言葉もあります。
仏さまが衆生のために形を
現すこととあります
菩薩が仏の教化を助けるために
影の如く響の如く姿を自在に
あらわして衆生を救う、と
その時は影響と書いて(ようごう)
と読みます。
また、
「神文」ジンブンとかのくだりで
「降臨影向」という一文が
出てきます。
このときは、
仏菩薩が形を現さないで来臨する
という意味です。
何かしら、影響という言葉
好きな言葉ですが
それよりもっと奥深さを
感じます。