ほとけさまのからだということも
お釈迦さまの御在世当時より
いろいろ議論されていたようです
ほとけさまはさとりをひらかれた
のだから普通の人とは違う
ということです。
ではどこがどう違うのか?
それは、
普通の人を超えた円満さ清浄さ
があるということで、
「三十二相、八十種好」
ということが考えられました
パッと見て私たちと違うところが
三十二あるということで
さらに詳しく見ると八十の
違った点があるということです。
それからすぐれた能力
「十力、四無所畏」という力を
もっておられるということです。
これを合わせて「相好」ソウゴウと
いいます。
普通に顔かたちのことを相好と
言うのはここから来たのでしょう。
三十二相の初めには
足下安平立相ソクゲアンピョウリュウソウ
足の底が地に安住し密着している
つまり、偏平足でしょうか?
が出てきて、
仏像をよく見ると古い仏像は
手の間に水かきがある
手足指縵網相マンモウソウといいます。
それから、
歯は白く揃っている。
舌は大きく
顔を覆う位髪の生え際まである。
瞳は群青色である。
眉間白毫ミケンビャクゴウといって
眉間に白毛があり右回りに巻いて
伸ばせば一丈五尺もある。
などと、
仏さまの姿を大きな特徴として
32も挙げています。
八十種好は
微細隠密で見難いもの
とありますが、
第一番には、爪の様子が
薄くて清らかで潤いがあり
光り輝いている
そして80番目は
手足と胸には卍がある
卍は吉祥の相といわれています
今ではお寺を表す表記ですが
絵画などでは仏さまの胸には
卍が書いてあります。
そういう体の相もありますが
身ということになると
仏様が説かれた教えは
法身ホッシンといって
姿形はないけれども
その仏さまの根底というか
仏をして仏たらしめている根拠
として考えられたのです。
御在世当時は
なまみの生身ショウジンと
説かれた教えの法身ホッシンの
二つが考えられました。
生身ということも
ほとけになられたのだから
一切の煩悩もなくなり
それを無漏ムロといいますが
漏というのは煩悩のことで
漏れ出てくるという表現は
何ともぴったりのような気がします
しかし、
生きている限りは
痛みもあれば苦しみもあり
そういう肉体的なものは
無くならないとして
ほとけになっても有漏ウロ
の身だという考えもあるのです。
そこから、
大乗仏教や上座部仏教では
さらに細かく仏身論ということが
論じられてくるのです。