本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

玄関とアトリエ

2020-11-09 20:24:18 | 十地経

講義の中でよく出てくる譬えです

「玄関とアトリエ」

ちなみに、何気なく使う「玄関」

という言葉も元は仏教語です。

 

仏教辞典には

玄妙(奥深くてすぐれた)な道に

進み入る関門。

とあります。

玄妙なる関門が短くなって玄関

それが転じて普通の家の入口

が玄関となりました。

 

門と言えば「入門」というのも

仏教語なのです。

仏教では門ということも

とても大切にします。

 

大きなお寺にお参りに行って

門が分からなくて

ぐるっと一周した

ということがあります。

お浄土は見えているのに入れない

門が見つからないのです。

だから門というのは大事です。

 

講義で、

玄関とアトリエということは

俗世間と出世間、

日常生活と精神生活

というたとえで出てきます。

 

家の中でも、

仏間や床の間と台所・玄関は

そういう場所に当たると思います。

 

「玄関というのは外に開いている

から、玄関というんです。

寒いとか暑いとか、

儲かった損したという具合に、

窓を開いてあるでしょう。」

「まあ月給ほしくないというのは

おりゃせん。

月給やらんといったら

誰も就職せんでしょう。

月給もらえるから就職する。

けど就職して研究したらもう

月給は忘れるでしょう。

月給で就職するけど、

しかしそれによって月給もらって

自分の仕事に入ったら、

もう月給を超えるでしょう。」

 

と出てくるのですが

他の時には

玄関は色々打ち合わせをする場所

例えば画家がいて、

絵を描いてもらうとき

どの大きさにするか

値段はいくらにするか

そういうところが玄関、

いったん、アトリエに入ったら

画家は値段のことは忘れて

絵を描くことに集中するでしょう。

そういう二つの世界をもつことが

大事だというようなことです。

 

おかしな話ですが、

むかし面白い坊さんがいて

檀家参りをして

お経をあげているとき

ここまででしたらいくらですけど

まだ読みますかと

言ったというのです。

 

しかし、

このことも人は笑えないもので

私も苦い思い出があります

お婆さんの一人住まい

冬場でもストーブもない

適当に切り上げようと

お経を略したのです。

ところがどこを読んでいるか

自分でも分からなくなり

覚えているお経を

つぎはぎだらけで読んだら

とても時間がかかってしまい

お婆さんからは

今日はいつもと違って

随分丁寧に上げていただき

有り難うございました。

と言われ赤面したことがあります

それ以来、

経本は持って

一字一句間違えないように

読むことにしました。

 

そうなると、

心は散漫になり

つまり玄関先で上げているような

ことになってきます

短くても

一字一句間違えないように読めば

集中できるものです。

 

『十地経講義』でも

私にとっては三昧の世界に

導いてくれる入口です

お話を頼まれたときなど

少しは早めに着いて

『十地経講義』を開いたところを

読むようにしています

十地経の話を

する訳ではないのですが

心が落ち着き

今まで聞いてきた話が

ふと浮かんでくるのです。

 

玄関だけで生きていると

心も千々に乱れ

何かしら疲れ果てるものです

アトリエというか

そういう集中できる場所

損得や好き嫌いを忘れ

没頭できる場所

そういうものが必要と思います

かといって

玄関という月給の問題も

忘れて蔑ろにしてしまうと

生活も成り立ちません。

 

そういう二つの世界を

もたないと生きれないのが

私たちのようです。

 

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする