本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

秋の田の 仮庵の庵の 苫をあらみ

2020-11-06 20:29:13 | 住職の活動日記

秋の田を見ていると

ふと口ずさむのがこの歌です

「秋の田の 仮庵カリホの庵イオの

 苫トマをあらみ 我が衣手は

  露にぬれつつ」

百人一首第一番に出てくる

天智天皇の歌

 

 

もうすっかり稲刈りも終わっている

様子です

この一帯はもとは大きな田圃が

あったのですが

段々住宅が押し寄せて

今では田圃の方が肩身が狭い

様相になってきました。

 

そのもっと前は

この一帯は巨椋池だったのですが

干拓事業で田圃に

生まれ変わったのです。

 

 

刈り取った後を見ると

ちらちらと緑の稲が顔を

出しています。

京都でもこの巨椋池の田圃は

一番の刈入れが行われるようです。

 

苫というのは

茅カヤを菰コモのように編んで作った

小屋ということですが

昔の歌に

因縁ということを表現した

 

「引き寄せて結べば草の庵にて

 解くれば元の野原なりけり」

 

という歌があります。

すべて物事は因縁によって

できている

最初からそういうものが

あるのではないということです

 

苫という庵があるのではなく

引き寄せて結べば

草の庵にもなるし

解いてしまえば

もとの草むらになてってしまう

私たちは何事も固定して

考えてしまいがちです

そして

そいうものがあるかのごとく

それに固執してしまい

これはこういうものなのだと

決めてしまうところに

いろいろ問題が生じるようです。

 

この田圃もこれから少しの間

お休みに入ります

そして肥やしをやり耕して

また美しい田圃に変わっていく

ことでしょう

しかし、

埋め立てられて住宅が

増えてくるかもしれません。

 

田圃と思っていても

土を入れてコンクリートで固め

家が建ちだすと

田圃ではなく住宅地に

変わっていきます。

 

もともとは大きな池(巨椋池)で

ここら付近は漁業の町だったのが

干拓により水が抜かれ

田圃に生まれ変わり

また埋め立てられて住宅へと

所によっては

高速道路が走り橋脚となり

同じ場所でも

いろいろ変わって(諸行無常)

縁によって何ににでも変わる

そういう姿を見せてくれます。

 

「吾が衣では露にぬれつつ」

と詠んでいたところも

今ではその面影もなく

すっかり変わっているかもしれません

 

それが当たり前

といっていしまえば

そうかもしれませんが

そういうこと自体が縁によって

動かされているという事実を

知って見ていくのも

縁ということの深さが

感じ取られるようです。

 

 

 

 

 

 

コメント
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