stay homeの日々、これまで見て見ぬふりをしていた、細かい所の整理を少しづつやっています。
ところが、懐かしい写真やモノが次々に出てきて、来し方に思いをはせる時間にとられてしまってはかどりません。
大事にとっておいた、手製のハードカバー仕立てのノートも思い出に残るそのひとつです。
絣地の2冊はタテ8㎝×ヨコ5.5㎝の豆本ならぬ豆ノートです。
3冊ともハードカバーで頑丈に作られていて、勿体なくて26年経った今も使えずにいます。
1994年、ほのぼのマイタウンの「腕一本に生きる~わが街の職人さん」特集を組んだ時のこと。
知り合いの製本所社長のお父さんが一人で手仕事の製本をなさっていると聞き、取材に出向いたのでした。
息子さんが経営している機械製本所の2階で、その方、篠崎興次さん(当時73歳)は和机の前で作業中でした。
ところが、篠崎さんは挨拶しても、仕事の手を止めないばかりか顔も上げてくれません。
やんわりと質問しても「うん」「ふ~ん」ばかり・・・
職人さんは頑固と言われるけれど、これでは取材になりません。
周りには誰もいないので、静寂が焦りとなって「ど、どうしよう?」状態。
何か方向転換して、関係ないことを聞こうと「戦争中はどうなさっていたのですか?」と訊ねてみました。
そうしたら、どうでしょう? 口を開いてくださったのです!
うれしかったですね~
それまでの様子とは打って変わって、兵隊時代のことについて堰を切ったように言葉があふれてきました。
私が信用できる人間か試していらしたのかもしれませんね。
「製本と名がつけば、何でもこなしちゃうね」
この道60年、13歳の頃から製本工場で「ぶったたかれながら、仕事を覚えた」方でした。
月刊誌を合本にしたり、図書館の百科事典の表紙(金の箔押しがあるような)や和綴じの製本も。
表紙の材質がクロス紙であれ、革であれ、布であれ、何でもござれ。
かける熱の具合がとても難しいそうですが、名人の手にかかれば寸分の狂いもなく美しく仕上がるのでした。
「趣味? 趣味は仕事だよ。それしかねえの」
と、記事の最後に書いています。
私は最初のどぎまぎはどこへやら、ぶっきらぼうな中に職人さんの優しい心根を垣間見た楽しい取材になりました。
「気にいった布があれば、何でも持ってきな。表紙にしてやっから」
といいながら、屈託のない笑顔で渡してくださったのが、最初の3冊の豆ノートです。
大・中・小と5、6冊、戴いたのですが、友人や孫にもあげて今、手元にあるのはこの3冊です。
取材する方の中には、自分の半生を目いっぱい語りたい方も多く、なかなか本題に入れないこともありました。
それだけに、この時の取材は忘れがたく、豆ノートとともに記憶が蘇ります。