『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

五月は母を想う月

2021-05-22 15:48:21 | 忘れえぬ人々

私の母が亡くなって半世紀になります。
母は5月8日に生まれ、5月14日に47歳で亡くなりました。
結婚したのも5月だと聞きました。

5月は私にとって特別な月です。
50年経っても母の歳を数えています。
自身が孫もいて、おばあちゃんになったのにおかしいですね。
でも母は私が結婚した時も、子どもが生まれた時もいませんでした。
先日、保存している写真のデータの中に母の子ども時代からのものがあり、
5月の薫風の中に母を偲んでいます。


   

これは母が子どもの頃家族で撮った写真です。
母は佐世保で5人兄弟の長女として生まれました(前列左です)。
下の弟が生まれていない頃のこと。
父親に抱かれている叔母だけが今91歳で健在です。

   

踊りが好きで、20歳の頃まで習っていたようです。
そして子育てが一段落して、40代に入ってから日本舞踊の稽古を再開しました。
母の唯一の趣味でした。
私も小学生の頃、バレエを習っていたのは母がやらせたかったからでしょう。

  

娘時代の母、私の好きな写真です。
何の苦労もないような華やかな表情をしています。

   

結婚して、母になって28歳頃のお正月の写真でしょうか。
一番上の母の写真よりも少し幼い私が隣に立っています。
その横が弟、そして父、後ろに立っているのは母の末弟、遊びにきていたのでしょう。
写真館で母だけがカメラ目線でないのはなぜ?
年末年始の家事で疲れていたのかしら?
お正月が晴れの日であった、遠い日の昭和の家族写真です。

母が亡くなった年齢をとうに越してしまった私ですが、母ができなかった娘の結婚式
を見ること、孫の顔を見ることができた自分の幸せを感謝しています。
母の娘時代は何不自由なかったと思うのですが、誰もがそうであったように戦後は苦労した
ことでしょう。
ただただ、夫と子どものために生きた昭和の女性でした。


あと10年長く生きてくれれば、親孝行も少しはできたかもしれませんが、
看病はしたものの、親としての母の気持ちを慮るには私は若すぎました。
5月20日はふるさとの親友の誕生日でした。
彼女は確か中学の頃に母を亡くしています。
カードに「私たちは母親の分まで長生きするよう、神様が命を与えてくれたのかもしれない」
と記し、お互い元気で長生きしなきゃと言っています。

5月は私にとって今も母を想う月です。




















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