『ほのぼのマイタウン』気まま通信

『ほのぼのマイタウン』のブログ版~見たこと、聞いたこと、伝えたいことを自由に気ままに綴ります。

龍馬を生んだ坂本家の子孫の方々

2020-05-10 14:37:00 | 忘れえぬ人々
       
       
       「坂本龍馬の子孫の方がうちの隣に住んでいらっしゃる」という情報を小平在住の友人を通して聞いたのは、丁度10年前のこと。

       折しもNHKではその年、大河ドラマ「龍馬伝」が放映中で、世間には龍馬ブームが起きていました。

       そして、九代目坂本登さんのお父様が画家坂本直行さんであり、私が若い頃帯広にいた頃お名前を知っていたこと。

       何よりお菓子で有名な六花亭、その包装紙の山野草を描いた人であること・・・でお会いしたい気持ちが募りました。

       「ぜひ取材させていただきたい」私の熱い思いが通じて、坂本家九代目当主にお会いした記事が下記の号です。


       

       
       
       上段の写真の右側が坂本登さん(当時73歳)、左側が坂本家八代目、父の直行さん。

       
       上段がお母様と登さんのご兄弟、下段がキャンバスに向かう直行さん。


       「龍馬との共通点は背丈が同じことくらいですよ(笑)」

       とおっしゃる坂本さんは堂々たる体躯の、寡黙で穏やかな方でした。

       この頃はまだお仕事を続けていらっしゃいましたが、週末は龍馬関連のイベントやシンポジウムでひっぱりだこ。

       全国を飛び回っていらっしゃいました。

       父が入植した北海道広尾の原野で生まれ、厳しい自然環境の中で育ちました。

       高校卒業後は東京の大学に進学し、以来東京暮らし。

       父は龍馬の家系であることを子どもたちには一切しゃべらず、取材からも逃げ回っていたといいます。


       しかし、床の間に西郷隆盛と勝海舟の書がかけてあり、来客からの質問で、それとなく間接的に自分のルーツを知ったとか。

       龍馬とおりょうの間には子どもがなく、断絶していた龍馬家の跡目を甥が継いだものの、その後直系は途絶えてしまいました。

       坂本登さんは龍馬の兄が継いだ、郷士坂本家の直系で父の直行さんが龍馬の甥の孫にあたります。

       その家系図は次の通りです。


       

       それではなぜ土佐の郷士坂本家が北海道に渡ったのでしょう?

       それは龍馬が蝦夷地開拓を目指していたからだといわれます。

       龍馬の宿願を果たすべく、甥の坂本家五代目直寛(登さんの曽祖父)へと引き継がれ、北見の開拓に着手。

       理想の実現を目指し、開拓とキリスト教伝道に生涯を捧げ、龍馬の思いを継承したともいえる人生だったようです。

       詳しくは記事に書いていますので、関心ある方は

       http://www.honobono-mytown.com/topics.php
       掲載号No145をご覧くださいね。


     
       坂本登さんは上京するまでの原野での暮らしや、お父様のことをユーモアを交えながらとつとつと語ってくださいました。

       「龍馬は自分で手紙を書いたことでそれが残り、人間的魅力がアピールされています。平等と自由という思想が根底にあり、今の時代も色褪せない」

       

       あれから10年、坂本さんは83歳になられたでしょうか?

       数年前に体調を崩されたと聞きましたが、今は散歩にも出かけられているそうです。

       子孫としては八王子在住の息子さんに十代目を譲られたようです。

       その息子さんには二人の男の子がいらっしゃるので、十一代目も坂本家は安泰です。

       龍馬の精神は脈々と引き継がれていくことでしょう。



       参考資料にと取り寄せた坂本直行さん著『開墾の記』

       

       入植後5年間の体験を記した本で、昭和17年に出版されました。

       その復刻版を平成4年北海道新聞社から発刊。

       厳しい自然との闘い、想像を絶するほどの重労働、その中で夜ストーブの焚火の明かりで読書し、スケッチしていた直行さん。

       その骨太な生き方に感動したものです。

       北海道大学山岳部で、道内の山々を踏破した直行さんの山の絵は清澄で温かく大好きです。

       13年前、帯広郊外の六花の森「坂本直行記念館」で見ました。


       後日談
       *毎号送付していた、知り合いの産経新聞の記者さんから「いやぁ、龍馬の記事感動しました。コピーしてみなに配りましたよ」と
        電話がありました。彼は当時政治部記者、とても熱い方でした。

       *この年の9月に「こだいら雑学文化塾」で坂本登さんを講師に迎え、小平市福祉会館で話していただきました。
        前日の読売新聞に掲載されたこともあり、青梅からも参加者があり、100人以上になって私たちスタッフはイスを追加して大わらわでした。

       

       


       



       

       


       




       



       
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