大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸墨堤・三囲神社は三井越後屋の守護神を祀る

2012年01月26日 11時51分04秒 | 墨田区・歴史散策
隅田墨堤下を走る通称「検番通り」のちょうど中ほどに鎮座するのが今日のお題の「三囲神社」です。当ブログでも以前取り上げたことがある神社なのですが今回は三井越後屋(現三井グループの三越百貨店)と浅からぬ関係にあることを紹介いたします。

三囲神社鳥居の扁額

漢字表記で「三囲神社」となっているのですが、つい読み方として「みい」、「さんい」とかはたまた「さんかこい」などと読みたくなってしまうのですが、なんと「みめぐり」と読ませるのです。

三囲神社のご社殿

「みめぐり」と読ませる由来は文和年間の頃(1353-1355)、近江三井寺の僧源慶が東国遍歴のとき、牛島と呼ばれていたこのあたりに壊社があることを知り、その社が弘法大師ゆかりのことを聞いて、荒れ果てた社を改築しようとしたところ、土中より白狐にまたがる老翁の像が現れました。そして白狐が現れ神像を三回まわったところから「三囲(みめぐり)」の名を付したといいます。

さてこの三囲神社と三井越後屋が関係持つようになった時代というと江戸時代の初期の頃まで遡ります。神君家康公の開幕後、70年ほどたった延宝元年(1673)に上方の伊勢で呉服商を営んでいた三井家の三井高利が江戸本町一丁目(現在の日本銀行本店あたり)に越後屋の江戸店を開業したのが、現在の三越の始まりです。

そして開業から10年後に駿河町(現在の三越本店がある場所)に移転し商売を拡大していったのです。江戸時代には駿河町の越後屋本店と通りを挟んだ向かい側に「向店(むこうだな)」があり、越後屋はお江戸の中心地で押しも押されぬ大店(おおだな)として発展していたのです。

前述の江戸に初めて進出した越後屋ができた延宝元年(1673)の頃は、先の明暦の大火からすでに20年近く経過し、御府内と対岸を結ぶ両国橋が隅田川に架かっています。両国橋ができたことでかつては下総の国と呼ばれていた隅田左岸は府内の一部に組み込まれ開発が進んでいました。特に三囲神社のある地域は「牛島」と呼ばれ風光明媚な土地が広がり、江戸庶民の日帰りの遊楽地として人気が高まっていました。ご府内のごみごみした風景と異なり、春夏秋冬のどの季節でも静かな雰囲気の中でのんびり過ごせる場所だったのです。時代は下りますが、そんな風光明媚な土地柄を活用した文化2年(1805)に開園した「向島百花園」は化政文化華やかりし頃、当時の文人墨客のサロンとして利用されていたことは有名な話です。そんな雰囲気を漂わしていたこの地域には江戸市中の大店の主人がセカンドハウスを構え、妾を囲う場所として最適だったと言われています。

あくまでも想像ですが江戸の大店である三井越後屋の主人もここ牛島に立派な別宅を建て、大川端から猪牙舟にのってしばしば訪れていたのではないでしょうか。そんな折に牛島に社を構える「三囲神社」を訪れ、「三囲(みめぐり)」は「三井(みつい)」に通じると考え、この社を三井家の守護神として崇めさまざまなものを寄進したと考えます。

ライオン像

鳥居をくぐり本社殿の手前左手に置かれているのが三越百貨店のシンボルである「ライオン像」です。このライオン像は新しいもので2009年に三越から奉納されたものです。かつて三越池袋店の店頭に置かれていたものなのですが、同店の閉店に伴い当社に移設された経緯があります。そもそもライオンは紆余曲折を経て神社の神前を守る狛犬に変化したものなので、三越のライオン像がここ三囲神社に置かれても不思議ではないのですが…。やはり三囲神社と三越との浅からぬ関係を感じざるを得ません。

さらにこのライオン像の傍らに置かれているのが三越の商標が前面にど~んと刻まれた大きな石台なのですが、これは明治時代から昭和初期にかけて店にやってきた客にだす茶の湯の銅壷を置く台として使われていたものだそうです。さすが越後屋ならではのお客様へのサービス、と感心します。

石台

そして社殿前に置かれた狐像もこれまた三井越後屋の寄進によるものです。目が垂れた愛らしい顔立ちの狐さんは「三囲のコンコンさん」と呼ばれ親しまれているのですが、台座には「向店」と文字が刻まれています。この向店は冒頭で書いたように越後屋本店の真向かいで綿織物関係を主に取り扱う商売をしていたのです。その関係者が寄進したのがこの「三囲のコンコンさん」なのです。

三囲のコンコンさん
台座

社殿裏手に面白い形の鳥居が置かれています。三角を形どる珍しい鳥居なのですが、この三角鳥居もかつて三井家にあったものがここに移設されています。この鳥居の「三角」も三井に通じるものなかかはわかりませんが、大店らしい気配りを感じます。

三角鳥居

さらに境内の一番奥に鎮座するのが三井家の祖先の霊ををお祀りしている顕名神社です。それほど大きくはない祠なのですが、その居ずまいから三井家の威厳を感じます。四方を柵で囲まれて側に近づくことはできないのですが、祠の外壁を飾る繊細な彫刻が金にいとめをつけない大店の心意気を表しているようです。

顕名神社の祠
祠を飾る彫刻

ここ牛島の三囲神社からはほぼ見上げるようにスカイツリーがそそり立っています。現代の技術の粋を集めて建てられた巨大建造物の足元で三囲の神はどのような思いで鎮座しているのでしょうか?

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