大江戸散策徒然噺 Introducing Japanese culture and history

豊かな歴史に彩られた日本の文化と歴史を紹介

お江戸・墨堤三囲の神~三越三井グループのご守神を祀る~【墨堤・向島三囲神社】

2010年11月02日 10時29分11秒 | 墨田区・歴史散策
隅田川墨堤の向島側を歩くと、江戸の風情を感じさせてくれる寺社名刹が適度な距離を置いて点在しています。
ご存知のように向島七福神のルート上にあるのがこの三囲神社(みめぐりじんじゃ)で、大国神、恵比寿神を合祀しています。

大国神、恵比寿神の祠

七福神巡りを向島百花園の福禄寿から始めると、白鬚神社(寿老人)、多聞寺(毘沙門天)、長命寺(弁財天)、弘福禅寺(布袋尊)と巡り6番目の大国神と7番目の恵比寿神にあたるのが、この三囲神社です。弘福禅寺からは向島花街らしい響きの「検番通り」を牛嶋様に向かってまっすぐ進んでくるといいでしょう。検番通りに沿って歩いていると、かつての花街を彷彿とさせるような粋な造りの料亭がまだ現役で頑張っている姿を垣間見ることができます。向島という粋な響きが未だに生きているんだなあ、と感じる瞬間です。料亭街の雰囲気が薄れてくる頃、右手に真新しい三囲神社の鳥居が現れます。

三囲神社の鳥居

創建は定かではありません。文和年間(1353~1355)に、近江の三井寺の僧源慶の霊夢に感応して建立されたと言われています。
尚、「三囲」(三圍)と書いて「みめぐり」と読んでいます。社伝によれば、前述の源慶によって当社が建立された時、一つの壷が土中から発見され、その中から稲を担いだ翁像が出てきたと言います。同時に白い狐が現れて、掘った穴の周りを三度回ったので「三囲稲荷」と言うようになったそうです。
実は当社の祭神は翁でも狐でもなく、「宇迦御魂の命(うかのみたまのみこと)」で近世の田の神なのです。

社殿
三囲神社鳥居と参道

この神社を有名ならしめた歴史の中の出来事が一つあります。
時は元禄6年(1693)の頃。この年は大変な日照りで、里人たちは6月29日にこの社前で雨乞いの行事を行っていました。そこに通りかかったのが、あの芭蕉の弟子で芭門十哲の一人である「宝井其角」とその門人の白雲でした。そこで白雲が其角に雨乞いの句を進めると、其角はすらすらと句を詠んだのです。
「夕立や 田をみめぐりの 神ならば」と。
この句を詠んだ日には残念ながら雨は降らなかったのですが、なんと翌日は雨降りとなったことから、たちまちこの向島の三囲神社がお江戸の名所になってしまい、多くの参詣者で賑わったといいます。
尚、この句には暗号が隠されています。五、七、五のそれぞれの頭の文字をつなげると「ゆたか」という言葉になります。其角はおそらく雨を降らせてくれれば、きっとこの在は「ゆたか」になるはずという気持ちを込めたのではないでしょうか?この句を刻んだ石碑が参道の右手に置かれています。

其角の句碑

そして面白い話がもう一つこの神社にはあるのです。
この其角の雨乞いの霊験にいたく感じ入ったある江戸時代の豪商がいたのです。その豪商はなんとあの三井家なのですが、三井家は江戸における守護神として当社を崇め、享保元年(1716)には社地の拡張、社殿の造営を行い、ほぼ現在の姿に整えています。なお、今も年三回は三井関連会社による祭典が執行され、また三越の本支店に当神社の分霊をまつっているのは、神社と三井家の関係を物語るものにほかなりません。
参道を進み、社殿の手前の敷地には三越の屋号を刻んだ大きな石と三越デパートの入口に必ず置かれているあのライオンの像が置かれています。

越後屋の屋号碑
三越のシンボル「ライオン像」

境内の一番奥(隅田川側の裏口近く)には「顕名霊社(あきな)」という、お宮さんがあって、鉄柵で囲われています。この顕名霊社は、三井家の開祖とされる三井高安を祭っているとされています。ようするに当社は三井家の氏神様なのですね。ちなみに、「三囲」の「囲」から口(くにがまえ)をとると、三井神社になるわけで、偶然にしてはできすぎのような気もしますが……。

顕名霊社

もう一つ、本殿の裏におもしろい形の鳥居が置かれています。一瞬、「何、これ」といった代物ですが、実は「三柱鳥居」と呼ばれています。鳥居としての本来の役割を担っているのかい?と思わざるを得ない形です。しかも鳥居の脇には「三井邸より移す」というプレートが付けられており、この「三柱鳥居」が旧財閥の三井家から寄贈されたものであることが示されているということは、やはり「三」繋がりの賜物か?

三柱鳥居

境内にある末社の中でも、もともと越後屋に祀られていた大黒・恵比寿神は、隅田川(向島)七福神として名高く多くの参詣者を集めています。また境内に置かれているたくさんの石碑の中でも夕立塚、三蝶の碑、宗因白露の碑、朱楽菅江辞世の碑、川柳の諸碑、萩廼家鳥兼の碑等々は一見の価値があります。

また、この神社は江戸時代には数あるあるお稲荷さんの中で、最も名を知られたお稲荷さんの一つだったようです。境内にはあちこちに「お狐さん」の像が置かれています。「お狐さん」にまつわるお話が当社には伝わっています。
時は元禄のころ、この三囲稲荷の白狐祠を守る老夫婦がいて、祈願しようとする人が老婆に頼み、田圃に向かって狐を呼んでもらうと、どこからともなく狐が現れて願い事を聞き、またいづれかへ姿を消してしまうという。老婆以外の人が呼んでも狐はけっして現れることがなかったといいます。俳人其角はそのありさまを「早稲酒や 狐呼び出す 姥が許」と詠んでいます。老婆の没後、里人や信仰者がその徳を慕って老夫婦の石像を建て、今でも境内に祀られています。

老夫婦の石像

特に社殿の前に置かれている一対のお狐さんのお顔をとくとご覧になってみてください。こんな顔をしたお狐さんはあまり見た事がありません。なんと目が垂れ、まるで笑っているようなお顔立ちです。このお狐さんのことを「三囲のコンコン」さんと呼んでいます。「目尻のさがった温和な表情をここいら辺の職人言葉で「みめぐりのコンコンさんみてぇだ」と言ったそうです。

みめぐりのコンコンさん

ともあれ、なんともさまざまな言い伝えが残る有名な神社なのですが、特に祭礼がないかぎり静かな雰囲気が漂う摩訶不思議な神社です。

お江戸墨堤・三囲神社は三井越後屋の守護神を祀る





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (菅原でございます)
2010-11-04 22:51:30
早速の散策ありがとうございますm(_ _)m

江戸 化政文化 食 甘味なども 期待します
Unknown (【ダンディ松】)
2010-11-05 08:39:50
菅原さんへ。いつもご愛読いただき有難うございます。のんびりと過ごす毎日、「徒然なるままに日暮し硯に向かい、そこはかとなく書きつれば…」なる心境です。
ふと立ち寄る古刹、名刹、神社に秘められた興味深い歴史の足跡に触れるにつれ、お江戸の奥深さを改めて感じる今日この頃です。
さて、リクエストをいただいた「文化文政時代の食文化」については、私にとっても非常に興味ある「お題」なのです。先日もあの有名な高級料理の「八百善」について今戸界隈を調べてみたのですが、「このあたりにあったのではないかと言う場所」は確認できましたが、それ以上の収穫を得る事ができませんでした。
当時の有名高級料理店は他にもあるのですが、ほとんどのお店が時代の変遷の中で、消えてしまっています。
でも、なんとか文化文政時代の食・甘味などのお題をとり上げていきますので、楽しみにしてください。

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