ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

占いの館

2010-04-22 | 倶利伽羅-白山比-気多大社巡り
さて、倶利伽羅-白山比神社-氣多大社巡りの旅日記にカテゴリーを戻して話を進めるが、
拝殿参拝後、右に奥の杜へと進む小路がある。真っ赤な嘘の愛の道?恋愛成就祈願の絵馬通りに気を取られていると見逃すよ親子参拝さん。カメラマン長男は小路を見つけたようだが、クルッと引き返し去ってしまった。
ひつじ「おっしいぃ!その先だよ」と心の中でつぶやいた。あくまでも心の中でつぶやいた。ツイッターみたいだな…。
実は、その先には占いの館があるのだ。卜者・ぼくしゃという元祖 占い師 天太玉(あまのふとたま)様の社だよ。
っていっても、占いに頼りすぎるのはよくない。占い師の言うことばかり信じていると自己判断が出来なくなり、決断力に欠けてしまう。自分の決断に自信が持てなくなり「いざ!」という時の別れ道、どっちを選択すべきか占い師に委ねてしまう傾向にある。
別れたい!と思って迷ったから占い師に相談に来たんじゃないのか?
しかし、第三者の占い師を言うことを真に受ける前に、己第一人者の冷静なる判断と恋人彼 彼女の二人称と固い決意をしっかと受け止め、よくよく未来を話し合ってくれ。
あくまでも感情的にならず時間をかけてもゆっくり話し合ってくれよ。頼む。
人に一を足し「大」人な判断、人に二を足し「夫」人、つまりパートナーとなれるかどうか否か、こういう別れ道の乗り越え方次第で未来が決まるよ。
って、決断するのは君だ!私じゃない!
って、えっ??
私は他人様判断なのかって?
さぁ、どうだろうな。プライベートまでは綴らんぞ。
と、まぁ、ひー・ふー・みーと段階的に愛を拡張させるのが、この世の愛の修行である。
これは数霊の恋愛霊愛法則であるが、結局のところ、私は聞き流せる程度のテレビの人名占いか、見逃しても平気な新聞の星座別占いか、富山情報の週間占いしか見てない。
って、結構、巷どこでも占いが目に付くなぁ。
誰のどれをどう解釈し何を信じたらいいのか、全く分からん。だから、自分で決める自分の道である。しかし、結局は信じられる占い師とは当たる占い師で群がってしまう。
その元祖 占い師の太玉様とは、どんな神さんか、ここで紹介しよう。
聞いて驚くな、タダのエロ親父だ。
どーん!
衝撃だった?
では詳しく…
天岩戸神話の中でアマテラスがこの世に再び光もたらさんためにはどうすればよいであろうかと、ポンポンポン、ポンポンポンと木魚がバックで鳴り、チーンと閃きに御輪が響くような時代の一休さんではないが、座りこんで石を使って占っていた。
太玉様「そうだ!!」と占いで出た結果なのか?ただの思いつきの閃きなのか?それは分からないが、その内容は“魂の象り勾玉と己の映し鏡を(ボランティアに)たくさん作らせ、アメノウズメの半裸狂乱乱舞を見ながら、皆で宴会しようぜ!”という、タダで呑んで食って騒ぎたいだけで、お気に入りの娘の裸踊りが見たいだけだった。そのお気に入りのアメノウズメも「お断り!」すりゃいいのに嫁入り前の娘が半裸を承諾して巫女と遊女の元祖となったという神話も出来上がった。
私にしてみたら、タダでやってくれる占い師の元祖なのか?エロ親父の元祖なのか分からない太玉様ではあるが、ま、エロはエロでも占い師は占い師だ。兎に角、皆信じて言われる通りにやってみた。
アマテラスを奉り祭って、多くの魂 勾玉が一致団結!御魂神輿かづいて「ほれ!和ッショイ、和っ背負い!」神輿の回りでハタキ?振り上げ「いやさー、弥栄ぁー」と、和の国を再び奮い立たせて栄えさせ給えとお天道様アマテラスに祈願。祭り後の直会(なおらい)宴では互いに姿を映し出し真っ赤なお顔であははの反省会。さらに、お約束のお立ち台で元祖ストリッパー アメノウズメのショータイムである。もうこの時点でアマテラスそっちのけで群がる男たちである。
そら、アマテラスも嫉妬するわ。私抜きに何しとんねん!って。
そんなアマテラスそっちのけ不作不況の風をもろともせず、不景気何のその大繁盛大盛況の野外ステージの即席高級キャバレー。ちなみに、直会とは本来の魂に戻すと言う意味があるらしいが、祭りが終わった男性たちが酒を飲んで歌って踊って、気の合うエロ魂とエロ魂で隣に座って盛り上がってエロ話をする…。しかし、そのエロ話は個人差とムッツリ差、明る差とマニアック度によって違うらしい。ま、つまりだ、祭りとは男魂闘魂が戻り、祭り後は男魂エロ魂が戻ってくる??というわけだよ。あははっ。
そういうエロ魂がなければ、子孫繁栄しないから、もう諦めてくれ、巷女子よ。
って、少子化問題の前に結婚率を上げる必要がある!順番が逆だな…。
と、そんな占い師の助言でアマテラスが再び顔を出した。
結果All-Rightな占いなんだよ。めでたし、めでたし。
占いとは、生まれ持った宿命、卜という未来、人相表情、病気医療方面と肉体精神的方面で総括して未来を切り開く助言をするのだ。
つまり、助言を聞くのは自分であり、切り開くのも自分である。
占いとはそういうものである。後は自分がどう出るか!?が問題だ。
決して幸福になりまっせ的な壷、これ飲めば開運でっせ水なんて売りつけたりしない。
自分の頑張り「利く」かどうかだからね。
頑張ろうね!


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