ひつじ草の挑戦状

色んな思いを綴ってます。

宇宙のような…

2013-09-27 | Italy-聖地巡礼の旅-
大きなシスティーナ礼拝堂の中は、
丸ごと、新旧約の聖書の中である。

天地創造から太陽と月の誕生と、
神が作りたもう愚かな人間の誕生から楽園追放、
気付いた者だけが救われるという、ノアの方舟、
ノアから飛び出すピジョン(ハト・平和の象徴)。

そして、
キリスト、モーセの伝承と、
神による、悲しき裁きまで。

神の教えは、深い。
神の慈悲も、深い。
されど、
神の裁きは、辛い。

神は、どんな思いで、
裁きの手を上げなさるのか。
今なら、ルシファーの気持ちが分かる、
と、そう言って下さるように思います。

つらつらと記憶を辿って…
神とご縁があるのだろうか、仏教徒の私は、
幼少の頃、日曜ミサに顔を出していた。
しかし、
司祭様が、どうも苦手で、
てててとミサを抜け出し、
外の遊技場で遊んでいた。

神の、大切な教えそっちのけ、
やれやれ…と神は呆れていた。
では熱心な仏教徒か?と言われれば、また困る。
仏に対してさほど篤い信仰心を向け、合掌する、
と、いうわけでもない。似非坊主の一派である。

そんな無神論者の私に、神や仏は、
『信仰とは、宗教を超えた所にある』と言う。

神や仏は、
宗教の枠を超えて、優しい。
それが御慈悲なのであろう。


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