事故物件扱い 「自死への偏見」国の指針案に意見書 (2021年10月5日 中日新聞)

2021-10-05 16:31:56 | 桜ヶ丘9条の会
 マンションなどの居室内で人が亡くなったりした「事故物件」の販売・賃貸を巡り、事故内容やいつまでさかのぼって公開するかについて国土交通省が不動産業者に求める指針案に対し、自殺対策に取り組む団体や自死遺族が「自殺への偏見を助長する」と異を唱えている。国は自殺を社会問題ととらえ、対策を進めているさなか。人が亡くなった物件をどう扱うか、課題が残る。 (中沢佳子)
 「自殺は『心理的瑕疵(かし)』を生じさせるという前提で案が作られている。損害金など経済的負担を遺族に押しつける内容だ」。NPO法人「自殺対策支援センターライフリンク」の清水康之代表は批判する。
 不動産業界では、不慮の事故や事件、自殺、病気などで入居者が亡くなったり、お墓や反社会勢力の拠点が近くにあったりすることを「心理的瑕疵」、つまり、人々が抵抗感を抱く「傷」とみなす。スムーズに売買の取引などができない物件も多く、「事故物件」とも呼ばれる。
明確な定めなく
 宅地建物取引業法では、売買契約などの際、取引相手の判断を左右する重要情報を伝えるよう定めており、心理的瑕疵もその一つとされてきた。ただ、何が心理的瑕疵か明確な定めはない。告知を巡るトラブルや訴訟も少なくないため、国交省が昨年二月から、不動産業界関係者や弁護士などで検討会をつくり、告知する内容の基準を議論。今年五月に指針案をまとめた。
 案では、殺人事件や自殺が起きた場合、賃貸は発生から三年、売買は期間を定めず告げるとした。一方で、転倒など日常生活で起こりうる事故での死や、老衰など自然死は対象外。発見まで時間がたち、臭いや汚れを消す特殊な清掃をした場合には伝える。
 「自殺と自然死を分け、自殺を蔑視する内容だ。個人の問題とされがちだった自殺は近年、社会の問題だという認識が広がっている。自殺総合対策大綱にも『多くが追い込まれた末の死』としている。国は本来、自殺への誤解や偏見を払拭(ふっしょく)する取り組みを進めるべきなのに、真逆のことをしている」と清水さんは憤る。
 検討会ではどのような議論が交わされたのか。国交省のホームページを確認したが、あるのは議事概要だけ。どのメンバーが、どういう発言をしたか、基本的な情報も明確になっていない。「どんな議論の末に指針案が作られたか、過程が分からない」。清水さんはあきれる。
 このためライフリンクは「自殺対策の取り組みを逆行させかねない不適切な内容」という意見書をまとめ、六月中旬まで行われたパブリックコメント(意見公募)で国交省に提出。自殺に関する記述を撤回し、遺族支援や自殺対策に携わる人の意見を聞き、練り直すよう求めた。清水さんは「国が基準を定めるなら、『どういう場合は告知の必要がないか』を示すまでにとどめるべきだ」と訴える。
 同省は、寄せられた意見を踏まえ、今夏をめどに案をまとめる予定だったが、まだ公表されていない。同省不動産業課の担当者は「いろんな意見をたくさんいただいた。原案の修正をしてきたが、近いうちに公表する」と説明する。
 自ら命を絶った人の家族などでつくる全国自死遺族連絡会と、弁護士などが中心の「自死遺族等の権利保護研究会」も同様に意見書を提出。自死遺族を巡る問題に詳しく、意見書の作成にも携わった大熊政一弁護士は「案の相当な見直しをするべきだ。検討会メンバーは多くが不動産業界関係者。遺族や自殺対策に取り組む人が加わっていないから、遺族への配慮に欠けた内容になった」と、問題点を挙げる。
 具体的には、賃貸で三年とした告知義務の期間。遺族への賠償請求で、補償する家賃の算定に関係する。「訴訟で二年とした例もあり、一律に三年としたのは疑問だ。しかも売買だと無期限。これでは遺族が永遠に責任を負いかねない」
億単位の請求も
 何億円、何千万円もの賠償を求められる遺族は少なくない。大熊さんによると、亡くなったのがマンションの場合、「上下左右の部屋の家賃に影響した」「建物全体の資産価値が落ちた」と法外な賠償額を求めてくるケースもある。現場が風呂場でも、ユニットバスの交換などに加え、居間や台所も含めた、部屋全体の改装費を請求されることもあるという。
 「案はマンションの共用部分での発生も告知の対象にしている。広げすぎだ」と大熊さん。「『なぜ家族が止められなかったのか』『自殺のせいで精神的苦痛を受けた』と慰謝料を求める家主もいる。自殺への偏見は、それだけ根強い」
 一九九八年から毎年、自殺者が三万人を超えたのを受け、社会で自殺対策に取り組もうと二〇〇六年に自殺対策基本法が制定された。一六年の改正では自治体ごとに自殺対策計画の策定を義務付け、一七年には国が進める対策の指針「自殺総合対策大綱」を閣議決定。二六年までに人口十万人当たりの自殺者数を、一五年時点より30%以上減らす数値目標も掲げた。
 社会で自殺に向き合う流れができた一方で、自殺の発生を瑕疵ととらえる矛盾。「法律で瑕疵とは、物理的な傷や欠点を指すという学説もある。なのに『心理的』にまで広げていいのか」と大熊さんは語る。
基準自体は必要
 一方で、一定の基準を設けるのもやむをえないという。基準がなければ家賃の補償期間が長く見積もられ、遺族への高額な賠償請求が横行しかねないからだ。「基準を作って終わりじゃない。常に見直し、取引に与える自殺の影響をなくす方向にしなくては」
 日本自殺予防センター事務局長で、南山大社会倫理研究所の森山花鈴准教授(政治学)は「自殺が起きた物件は嫌」という考え自体、社会の理解が深まっていない証しと見る。「多くの人にとって、いまだに自殺は人ごと。自分で命を絶ったのだから(賠償などの不利益は)自己責任と思われている」
 森山さんも大熊さんと同じ理由で、基準の必要性は認めている。「丁寧に遺族の声を聴き、慎重に進めるべきだった。遺族は大切な人を亡くした上、損害賠償請求で金銭面の苦労も背負う。家賃で生計を立てる家主は、次の借り手がつかないと生活に困る。両者を対立させるのではなく、双方の折り合いを探らなくては」
 厚生労働省と警察庁によると、自殺者数は一〇年以降減少。しかし、二〇年に増加に転じ、前年を九百十二人上回る二万一千八十一人になった。
 森山さんによると、自殺の原因は複数の問題が絡む。「自殺者の多くがうつを患い、自ら命を絶つ以外に方策がないと思い込んだ状態に陥っている。そのまま周囲からのサポートがないと死を選んでしまう。がんなどの疾病と同じで、自殺防止は早期発見と治療が大事。思い詰める前に誰かに相談し、解決に導く環境づくりが欠かせない」