困難から得られるもの 週のはじめに考える
2020/3/15 中日新聞
いまあちこちで売り切れになっているものがあります。マスクやトイレットペーパーではありません。「ペスト」という本です。
フランスのノーベル賞作家カミュの代表作の一つ。一九四七年の出版です。新型コロナウイルス問題が大きくなってきた先月以降売れだし、増刷されました。海外でも広く読まれているそうです。
舞台は、感染症のペストに襲われたアルジェリアの都市。
ネズミの死骸が相次いで発見されます。病原菌が人間に広がって犠牲者が増えていき、街が封鎖される過程を描いています。
予言にすがる市民
テーマは感染症ですが、本当はナチス・ドイツ占領下の欧州をモデルにしたものでした。
今読むと、実際に起きたことの記録ではないかと錯覚するほどの現実味に圧倒されます。
例えば、ペストが発生しているにもかかわらず、行政は市民に不安を与えないことを優先して、思い切った手が打てず事態を悪化させてしまいます。
犠牲者の数が増えても市民は「一時的なものだ」と楽観していました。商店や事務所が閉鎖され、行き場を失った人たちは街頭やカフェにあふれます。
感染拡大を防ぐため、突然街が封鎖。多くの人が別れを強いられ、手紙のやりとりさえできなくなってしまいます。
病気の影響で交通がまひし、電車が唯一の交通手段になりました。乗客は、背を向け合ってお互いの感染を防ごうとしました。
人々は「予言」にすがるようになり、新聞は、市民による「平静、沈着な感動すべき実例」に関する記事であふれました。
ペストの流行が突然収まり、人々が喜び合うというところで物語は終わっています。多くの人に読まれている理由がようやく分かった気がしました。この本の中では、ペストの流行が約九カ月で終息する設定になっているのです。
新型コロナウイルスが下火になる時期は残念ながら、まだはっきりしていません。
日本では感染防止のため小中高校が休校となり、人が集まる大規模な行事が軒並み中止になっています。日に日に春の気配が強まっていますが、人通りが減り、活気が失われてしまいました。
心の痛む事態も起きています。パンデミック(世界的大流行)と認定されたこともあって、世界の国々が他国の防疫体制を批判し、入国制限を厳しくしています。排外的な行動も目立ちます。
ウイルスの特性から、避けがたい面もありますが、感染防止という同じ目標に向かっているはずです。いがみ合うよりも経験を分けあい、協力すべきでしょう。
弱者の存在に注目
歴史的に見ると世界はこれまで、たびたび感染症にさらされてきました。代表的なのは小説に出てくるペストやスペイン風邪、コレラ、エボラ出血熱などです。
十四世紀、欧州でペストが大流行します。致死率が高く人口の三分の一が失われたとの見方もあります。一方で社会的弱者の存在を浮かび上がらせ、対策が進むというプラス面もありました。
労働者の数が減ってしまったため賃金の上昇が起き、一時的でしたが、不平等や格差の是正が実現したというのです。
これは、歴史学者として知られるウォルター・シャイデル米スタンフォード大学教授が、「暴力と不平等の人類史-戦争・革命・崩壊・疫病」という本の中で、指摘していることです。
これほど極端ではありませんが、最近も例があります。
中国では、二〇〇二~〇三年に重症急性呼吸器症候群(SARS)が流行。医療費が払えず十分な治療を受けられない貧困層がこの病気にかかり、いっそうの生活苦に陥ったため、政府は生活保護制度を拡充しました。
日本では今、学校が休校になったことで共働き家庭が子どもの預け先に困っています。満員電車で通勤する人たちの感染の危険にも、関心が集まりました。
こういった状況の中で、助け合ったり、働き方を工夫する動きが出てきました。社会は今後、大きく変わっていくかもしれません。
知識と記憶の価値
出口の見えないこの状況をどう乗り切るのか、われわれは試されている気がします。
小説「ペスト」の中に、こんなくだりがあります。「ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、知識と記憶であった」と。
カミュは、不条理の作家と呼ばれます。なぜ、正体がはっきりしないウイルスが大流行するのか。
まさに「不条理」の極みですが、困難な状況の中でも人は何かを得ることができる。カミュは作品を通じて、こう伝えたかったのではないでしょうか。