特定秘密保護法 ルーズな運用に憤る(2017年4月6日中日新聞)

2017-04-06 13:23:49 | 定年後の暮らし春秋
特定秘密保護法 ルーズな運用に憤る 

2017/4/6中日新聞
 特定秘密の運用がルーズすぎる。衆院の情報監視審査会に提出された年次報告書ではあらかじめ特定秘密に指定するケースや人の記憶を特定秘密にするケースがあった。法の逸脱というべきだ。

 二〇一六年の年次報告書によると、一五年十二月末時点で四百四十三件ある特定秘密のうち、四割弱の百六十六件で行政文書がなかった。暗号を含む「物件」の形で存在する例が九十一件あった。

 問題なのは、十五件は情報が入る前からあらかじめ秘密指定されていたことだ。いわば「空き箱」の状態なのに特定秘密だったのだ。さらに十件は記憶や知識を特定秘密に指定していた。

 法の制定時までさかのぼってみよう。特定秘密は既に存在する「秘密」のうち特別に秘匿すべきものを「特定秘密」とすることにした。文書や電子情報などによって表示できるものを組織として管理するのが法の趣旨である。

 記憶や知識はそもそも定義が客観的ではないし、記憶などはいくらでもぐらついてしまうものである。法を逸脱すると考える。記憶や知識を指定した十件は審査会の指摘後に文書を作成するか、指定が解除された。もともと不必要な指定だったのではないか。

 あらかじめ「空き箱」を用意して秘密指定する方法も問題だ。武器や人的情報源に関する情報などで用いられ、入手見込みの段階で指定されている。しかし、警察庁、外務省、防衛省が指定した五件は情報が入手できず、昨年中に指定を解除している。

 このやりかたが幅を利かせると「空き箱」だらけになりかねない。秘密に対して指定をするという本来とはやり方が正反対で、これも法の趣旨とは反しよう。

 同時に法の運用も緩む。昨年も内閣府の独立公文書管理監からこの問題の指摘を受けていると聞く。管理監は特定秘密の指定や運用などが適正に行われているかどうかを監察する役職だ。

 今回の審査会で気になる場面がある。国会の委員が「一般に認知され、公知であるにもかかわらず特定秘密に指定し続ける理由は」と尋ねたのに対し、政府側は「公知の事実になっていたとしても、具体的部分は特定秘密として保護されるべきだ」。

 これはおかしい。国民には「知る権利」がある。公知の事実なら秘密は解除すべきなのだ。

 国民への情報を閉ざし、官僚による情報支配をすすめる法制度にはやはり反対する。