戦争は兵士の心も破壊 旧日本軍のPTSD8000人分の日誌が存在(中日新聞2017年2月24日)

2017-02-24 18:44:12 | 桜ヶ丘9条の会
戦争は兵士の心も破壊 旧日本軍のPTSD8000人分の日誌が存在 

2017/2/24 中日新聞

 第2次大戦中、戦場で精神を病んだ兵士を専門に収容した病院があった。千葉県市川市にあった国府台(こうのだい)陸軍病院だ。当時の医師たちは軍令に逆らい、患者の診療記録をひそかに残していた。安全保障関連法により、自衛隊に危険な任務が加わった今、戦争による「心の破壊」は遠い過去の悲劇ではない。先人の遺志を受け継ぐ研究者たちは、この貴重な診療記録で、旧日本軍兵士の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の分析に心血を注いでいる。

◆病床の記録を継承

 千葉県の九十九里浜に近い浅井病院(東金市)。敷地内のプレハブ小屋にざっと千冊の「病床日誌」がある。

 第一次大戦中、旧日本軍は兵士の精神障害の原因を本人の精神的弱さと決め付け、存在を隠してきた。重火器が登場すると、砲火による強烈な爆風が脳に損傷を与える「砲弾ショック」という外因性の病だと信じていた。第二次大戦では戦場で精神を病む兵士がさらに増え、陸軍はついにこの病を「戦時神経症」と位置付けた。一九三八年、国府台陸軍病院を専門院に指定した。

 浅井病院の初代院長の故浅井利勇(としお)氏は国府台陸軍病院の精神科医だった。生前の浅井氏が残した著書「うずもれた大戦の犠牲者」によれば、第二次大戦中の全期間を通じて勤め上げたのは、病院長の諏訪敬三郎氏と浅井氏だけだった。

 四五年に終戦を迎え、国府台陸軍病院にも全資料の焼却命令が下った。しかし、医師らは約八千人分の患者の「病床日誌」をドラム缶に詰め、中庭に埋めた。浅井氏は著書で「貴重な資料を焼却するにしのびず」と残している。この病床日誌は五一年に掘り出され、下総精神医療センター(千葉市)に保管された。

 浅井氏は終戦後まもなく浅井病院を開院した。七〇年代に入り、国府台陸軍病院の病床日誌の整理に着手。医療センターから原本をトラックに載せて自院まで運び、全てを二部ずつ複写し、退院日順、病名別にとじた。現在、プレハブ小屋に眠るのは、その資料だ。

 研究に約十五年の歳月をかけ、浅井氏は九三年に著書を自費出版した。浅井病院の長沼吉宣秘書課長は「『多くの人に知ってもらいたい』と全国の大学や公立図書館に送付する作業を手伝った。浅井先生は『誰かがまとめて発表しないと、患者がかわいそうだ』と言っていた」と振り返る。浅井氏は著書で「多くの将、兵の患者さんの思いがしみじみと感ずる貴重なこのあかしを、真実を、残しておきたい」と述懐している。

◆住民銃殺の悪夢 敵や銃声の幻聴

 これらの病床日誌は、兵士の氏名や生年月日、出身地、前職、病の原因分析や医師との会話、本人の手記などからなる。上官のしごきや戦闘での恐怖、罪悪感…二十代の青年たちの破壊された心の傷が克明につづられている。

 三重県出身で、前職が農業だった兵士は中国北部の討伐作戦で右足に被弾し、心を病んだ。敵が迫る声や銃声などの幻聴、頭痛にいつまでも苦しんだ。長野県出身で十九歳で発病した兵士は手記を残した。「早ク中隊ニカエリタイ ミナサンハオレガヨンデモ シジヲシテクレナイ カナシイ ミミガスコシモキコヘナイ アタマノワカラナイノガカナシイ」

 山形県で郵便局員だった兵士は、医師に打ち明けた。「河北省ニ居タ時隣接部隊ガ苦戦シ自分ラガ応援ニ行ッタ/隣接部隊ノ兵ガ沢山(たくさん)死ンデイタ/ソノ時部隊長ノ命令デ附近(ふきん)ノ住民ヲ七人殺シタ/銃殺シタ」。不眠となり、風呂でも廊下でも誰かが襲ってくるという強迫観念におびえ続けた。

 戦後七十年がたち、自衛隊が再び戦闘地域へ派遣されるようになった。旧日本兵の苦悩を繰り返させまいと、浅井氏の研究を引き継いだ人々がいる。国府台陸軍病院の病床日誌を研究し「日本帝国陸軍と精神障害兵士」(不二出版)を記した埼玉大の名誉教授の清水寛氏と細渕富夫教授だ。

 細渕氏は言う。「空襲や原爆の被害は外傷で悲惨さを目の当たりにする。しかし、外見は普通でも、戦争で心が傷ついた兵士はひた隠しにされ、ほとんど語られてこなかった。だからこそ、この貴重な資料を残す意味がある」

 第二次大戦で戦時神経症を患った元兵士は、今もいる。厚生労働省によると、二〇一五年度に戦傷病者特別援護法(戦特法)に基づいて国から医療費の給付を受けたのは百九十七人で、うち精神疾患は十一人だった。

 清水氏は二〇〇〇年代、生存する患者九人を訪ねた。「ある患者は新兵訓練として中国人を殺害したことが、ずっとトラウマ(心的外傷)になっていた」。研究の原点はシベリア抑留から戻り、精神を病んだ父親だ。「道端の馬フンを拾ってきて『ひろし、ロスケのパンだ、食べろ』と言った。自分の名前も家族も分からないのに、最晩年は夜中に跳び起き『ソ連軍が来るから逃げろ』と叫んだ」。清水氏は語気を強めた。「殺し殺されの体験をすると人生で二度苦しむ。一度目はその直後、二度目は死ぬ間際だ。心に深く刻まれた恐怖が弱った体によみがえる」

◆自衛官の調査急務

 政府は一五年、インド洋のテロ対策に伴う補給活動やイラクの人道復興支援活動に派遣された自衛官のうち五十六人が自殺したと公表した。清水氏は警告する。「一人自殺者がいれば十人の精神障害者がいるというのが僕の実感だ。自衛隊で、おびただしい精神障害者がつくられようとしている。政府はいち早く自衛官の精神障害の実態を調べ公表するべきだ。これは八十歳を超えた私の遺言だと思ってほしい」

 (沢田千秋)