福島原発事故後の状況は、明確な憲法違反

2013-09-26 11:10:15 | 日記
憲法によって国家を縛り、その憲法に基づいて政治を行う。
民主主義国家の基盤ともいえるその原則が、近年、大きく揺らぎつつあります。
憲法違反の発言を繰り返す政治家、憲法を無視して暴走する国会…。
「日本の立憲政治は、崩壊の危機にある!」
そう警鐘を鳴らす南部義典さんが、
現在進行形のさまざまな具体的事例を、「憲法」の観点から検証していきます。

  「マガジン9」というブログで、南部義典さんが、掲載している主張の一部を掲載します。
 
「憲法で原発を縛れ」という趣旨です。
 原発事故を議論する際、技術問題に埋没して欠如している「憲法」の観点の重要性、憲法違反の判断は裁判所の独占ではない、国会決議でも「原発=憲法違反」の決議はできる(非核三原則決議)、など現行憲法を武器に違憲状態に立ち向かうことが重要だと主張しています。

憲法違反の事実

 福島第一原発事故で、地域住民一人ひとりの生活がどのように一変したか、今更いうまでもありません。事故が直接の原因となり、尊い生命が犠牲になりました。放射線被害により私有の財産、仕事を奪われ、故郷には住めなくなり、いまだに苦しい避難生活を強いられている方が30万人に上ります。憲法上は、22条(居住移転、職業選択の自由)、25条(生存権)、29条(財産権)が保障されていない状態にあります。原発の立地自治体、周辺自治体では「自治」(憲法第7章)が全うできていない状態にあります。事故の発生とは関係なく、「放射能の恐怖のない社会で暮らしたい」という市民の平和的生存権(憲法前文)も侵害しています。さらに、国土の一部を居住不能にすることは、それ自体が重大な主権侵害です。
 以上により、原発そのものは憲法違反と評価されるべきであり、原発を推進する立法、行政は無効と評価されるべきものです。

「原発=憲法違反」と評価する国会決議

 「原発=憲法違反」と、いずれの国家機関が評価するのでしょうか。直感的には、「憲法の番人」である司法の権限であり、裁判所の役割と考えられます。この点、裁判所でもちろん可能なのですが、司法権は特定の事件に関して訴訟が提起されてはじめて発動されるものであり、また、原発の憲法適合性を特定の事件を離れて抽象的に判断する権限はありません。
 憲法の有権解釈は、裁判所の専権ではありません。国会、内閣でも当然可能です。内閣には内閣法制局という専任の部署があります。国会はこれまで、内閣法制局が主導する政府解釈を追従する側にありましたが、意識して憲法解釈を行い、「決議」として議院ないし委員会の意思として明示し、憲法に準ずる事実上の規範力を及ぼすことが可能です。
 その最たる例が、非核三原則です。

非核兵器ならびに沖縄米軍基地縮小に関する衆議院決議(1971年11月24日)
○政府は、核兵器を持たず、作らず、持ち込まさずの非核三原則を遵守するとともに、沖縄返還時に適切なる手段をもって、核が沖縄に存在しないこと、ならびに返還後も核を持ち込ませないことを明らかにする措置をとるべきである。
○政府は、沖縄米軍基地についてすみやかな将来の縮小整理の措置をとるべきである。
 右決議する。

 前記の決議は、衆議院本会議で全会一致で行われています。
 その後、衆議院外務委員会(1976年4月27日)、参議院外務委員会(1976年5月21日)、衆議院本会議(1978年5月23日)、衆議院外務委員会(1981年6月5日)、衆議院本会議(1982年5月27日)及び参議院本会議(1982年5月28日)においても、国際的な核軍縮の潮流に沿って、同様の決議が行われています。
 非核三原則は、憲法にも法律にも明記されていません。国会決議とはいいながら両院の統一意思ではなく、いずれかの議院(又は委員会)の意思にすぎません。法的拘束力もありません。しかし、憲法と同程度の規範的拘束力が認められ、現在に至るまで政治権力を拘束しています。
 憲法第9条第2項の「戦力」とは、自衛のための最小必要限度を超えない実力をいい、その範囲であれば核兵器の保有を禁止するものではないというのが政府見解ですが、非核三原則という国会決議がこの政府見解に優位しています。安倍首相ですら、非核三原則を放棄することまで言及できません。国会決議が強度の政治的拘束力を有していることの証左です。