私は、やっぱり金八世代です。
中学生の時、金八先生に出会い、こんな変な変な髪型の先生なんかいるわけない…
それでも高校生になっても、最終回の卒業式の場面では3年B組の生徒になって一緒に涙を流していました。
そして時は流れ、大学3年のとき私は、社会教育学科から社会福祉学科に転科試験を受け、養護教員志望から医療ソーシャルワーカーになるための進路変更をしました。
なんとか試験に合格し、医療社会事業を専攻するゼミに入ることができました。
それからは夏休みや春休みの長期休暇のときには、必ず宮崎に帰省し、病院で実習を重ね、経験と人脈を築いて行きました。
そんな時、大学で講義を受けているとき
「…君達は大学でしかできない勉強をしている…大学でしか取れない資格は取っときなさい…」
その時、長髪を振り乱しながらの金八先生を思い出しました。
それから福祉の資格を取得することに加え、教員免許を取得するため履修科目を追加しました。
そして教育実習を経て、夢の教壇に立つこともできました。
それでも医療福祉の現場で見た、弱い立場にある方々に寄り添うことを選んだ私は、古賀総合病院に就職しました。
そして高齢者も障がい者も、住む市町村によって受けられる行政サービスがちがう!
底上げをするためには、法律や条例を創る立場にならなくてはダメだ!
そして29歳の時、町議会議員に立候補し、今があります。
今夜、3年B組金八先生の最終回が放映されました。
金八先生からの最後の贈る言葉は
「…一遍を照らす人になってください…」
でした。
自分の身近な人を、弱い立場にある人を、そして自分の住む地域を優しく包み、元気にする人になってくだい…と理解しました。
金八先生は最終回でしたが、金八先生の贈る言葉は心に染み込みました。
一遍を照らせる活動を続けます。