神野町をゆく(52) 神野村二塚のサイフォン
城山(じょやま:神野町西条)の近くの堰から流れ下った新井用水は、すぐ南の曇川にぶつかり、サイフォンで曇川の下をくぐり対岸に流れています。
写真は、曇川の下をくぐるサイフォンの入口です。
水は、勢よく流れています。
ここ旧二塚村のサイフォンは江戸時代のものであると思いこんでいました。
(旧)二塚村の絵図を見て、そうではないことを知ることができまました。
このあたりの事情を『今里伝兵衛と新井戸の歴史』(新井水利組合連合会)で確かめてみます。
「・・・曇川は、たびたびあふれていたらしい。明治40年ごろに、曇川を斜めにくぐる埋樋ができ、新井溝が変更になったし、洪水対策の改修もあったのではないかと推測している。(現在の埋樋は、昭和27~29年の水路舗装の時のもので「県営新井コンクリート舗装の概要」によると内径1mのヒューム管で長さ56.1m)」とあります。
江戸時代のこの辺りの曇川の川幅は、堤があってもはっきりとしていない河原のようであったようで、埋樋は無理があったようです。
そのため、いったん曇川に流れこんでいます。
明治44年の図面によると、サイフォンで曇川の下をくぐり、曇川堤防の南側に沿って流れています。
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